なぜか外国人も知っている!? 日本の剣豪7人 | ニコニコニュース

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漫画やアニメの影響でしょうか、日本の剣豪まで徐々に外国人に知られるようになっています。海外で日本刀の愛好家が増えているようですので、その影響もあるかもしれませんね。今回は日本の有名な剣豪について紹介します。

●塚原卜伝(つかはらぼくでん)


剣聖といわれる剣豪で、鹿島新当流の開祖。『卜伝百首』によれば、39度の合戦、19度の真剣勝負に臨みながら一度も傷を負わなかったとされます。212人を切ったとも。奥義「一の太刀」を編み出したとされます(師から伝授された説もあり)が、その中身は不明です。

●上泉信綱(かみいずみのぶつな)


新陰流の開祖。門弟を連れ諸国流浪の旅に出たとされます。その途中で柳生家に立ち寄り、柳生宗厳から試合を申し込まれますが、「まずは弟子と立ち会え」と言います。頭にきた柳生宗厳でしたが、信綱の弟子・疋田文五郎から1本も取れなかったのです。

そこで宗厳は信綱に教えを乞い、その後、自らの工夫も入れた「柳生新陰流」を開きます。また、信綱門下からは、疋田文五郎、丸目蔵人などそうそうたる剣の達人が出ています。

●柳生宗厳(やぎゅうむねとし)


新陰流の継承者にして「柳生新陰流」の開祖。「石舟斎」という号でも知られています。67歳のときに、徳川家康を相手に「無刀取り」(いわゆる真剣白刃取り)を披露して称賛され、剣術指南役にと望まれますが、年齢を理由に辞退。

息子の柳生宗矩をその役に推薦します。こうして柳生新陰流は将軍家の剣術指南を行う流派となりました。

●宮本武蔵(みやもとむさし)


恐らく日本で最も有名な剣豪でしょう。二刀を振るう「二天一流」の開祖。自著『五輪書』によれば、最初に決闘したのはわずか13歳のとき。以降29歳まで「六十餘度迄勝負をすといへども、一度も其利をうしなはず」(60回以上も決闘したが一度も負けたことがない)という無敵ぶり。

あまり知られていませんが「島原の乱」にも参加しています。

●斎藤一(さいとうはじめ)


幕末に活躍した「新撰組」の三番隊隊長にまでなった剣豪。新撰組最強の剣士の一人であるとされ、並び称される永倉新八からは「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」という言葉で評されています。明治維新後は警視庁の警察官になりました。

西南戦争には、政府軍・警視隊の一員として参加しています。

●沖田総司(おきたそうじ)


「新撰組」の一番隊隊長を務めた剣豪です。新撰組の中核メンバーとして、近藤勇、土方歳三をよく補佐しましたが、それよりも最強の剣士としての評判が高い人物です。「三段突き」という技が有名で、まるで1回の突きのように見えても、3回突かれているというのです。

恐るべき剣の達人ですが、その性格は陽気で明るいものだったそうです。

●岡田以蔵(おかだいぞう)


幕末に暗殺者としてその名をはせた剣豪です。「土佐勤王党」の首領・武市半平太の指導の下、本間精一郎、宇郷重国らを殺害したとされます。勝海舟の護衛を引き受けた際には、3人の暗殺者の襲撃を受けますが、そのうち1人を切り伏せ、2人を撃退しています。

『風雲児たち』の著者・みなもと太郎先生は「岡田以蔵こそ、幕末最強なのでは」とおっしゃっています。

ネットの掲示板で外国人に聞き回ってみますと、『バガボンド』『るろうに剣心 −明治剣客浪漫譚−』の影響で日本の剣豪について知り、そこからいろいろ自分で調べる人が多いようです。「Nobutsuna Kamiizumi(上泉信綱)のラストネームはKouizumiとどちらが正しいんだ」とアメリカ人から聞かれ、びっくりしました(笑)。

日本人でも知ってる人は少ないと思うのですが……。

(高橋モータース@dcp)