岩手県矢巾町で中学2年の村松亮さん(13)がいじめを苦に自殺した問題で、村松さんが通っていた中学校は7月下旬、調査報告書をまとめた。村松さんに対して行われた6件の行為を「いじめ」と認定、「いじめが自殺の一因だった」と結論づけた。
報告書によると、指導現場はこれらを「トラブル、ちょっかい、からかい、喧嘩」と捉え、「いじめ」とは認識していなかったという。その一方で、担任教諭について「A君(村松さん)を常に気遣い、配慮を行ってきた」と指摘している。
しかし、結果として、命が失われるという結末を迎えてしまった。なぜ、こんなことになってしまったのだろうか。「ストップいじめ!ナビ」のメンバーとして、いじめ予防対策に取り組む真下麻里子弁護士に、報告書の内容を分析してもらった。
●学校は「いじめ」を狭く捉えていた?「今回の報告書(概要版)を読んで、『大津いじめ自殺事件の教訓が全く生かされていない』と、残念に思いました。
村松さんのケースでは、もっと早い段階で『いじめ』として認識し、学校全体できっちりと対処することができたと思います。このような結果を防ぐために、大人たちができたことはもっとあったはずです」
大津の教訓とは何だろうか。
「大津の事件を受け、2013年にできた『いじめ防止対策推進法』のことです。法律のコンセプトをひとことに要約すると、『いじめをできるだけ広く捉えて、早期に発見し、組織的に対処する』ということです。
この法律が定義する『いじめ』は、大まかにいうと、『相手が心身の苦痛を感じていたら、それはいじめだ』というものです。どのようなことを苦痛に感じるかは人それぞれ違いますし、どこまで何をされたら『限界だ』と感じてしまうかも人それぞれ違います。ですから、より初期の段階で、さまざまなケースに対応できるように、『いじめ』をかなり広く定義したのです。
他方、法律は、『法律を踏まえた基本方針を作りなさい』と各学校に義務づけています。これにはさまざまな意味がありますが、この『いじめの定義』を教育現場に浸透させ、より早い段階で対処させることも、狙いの一つでした。
ところが、村松さんが通っていた中学校がつくった『いじめ防止基本方針』を見ると、同校が『いじめを狭く捉えようとしていた』、つまり『程度の軽いものはいじめと認識しようとしていなかった』可能性があることがうかがえます。そのことが、学校として、いじめを認識できなかった要因の一つになっているかもしれません」
●「単なる仲間はずれ」はいじめじゃない?具体的には、どういうことか。
「この学校のいじめ防止基本方針で列挙されている『具体的ないじめの態様』は、国の基本方針を下敷きにしたものですが、明確に違っている点がいくつかあります。
たとえば、国が『冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことを言われる』としているところを、同校は『冷やかしやからかい、悪口や脅し文句、嫌なことをしつこく繰り返し言われる』として、『しつこく繰り返し』という言葉をあえて加えています。
また、国がシンプルに『仲間はずれ』としているところでも、『意図的な仲間はずれ』と、要件を加えて厳しくしています。
そして、国が『軽くぶつかられたり、遊ぶふりをして叩かれたり、蹴られたりする』としていたところから、『軽くぶつかられたり』を削っています。国が示していた『金品を隠されたり、盗まれたり、壊されたり、捨てられたりする』は、姿がありません。
学校基本方針は、その学校がどのような姿勢でいじめ問題に取り組んでいくかを示す大切な指針です。ですから、これらの記載から、同校が『程度が軽いものはいじめではない』、『いじめとして対処しなければならないものをできるだけ限定したい』という意識であったと評価されても仕方ありません。
同校は、報告書において、学校基本方針については教職員間で内容の理解・共有ができていなかったし、記載された取組も実践できていなかったとしています。つまり、学校基本方針をほとんど重視していなかったということです。
しかし、かかる姿勢は、学校にとっては大きな不利益となり得ます。今指摘したように、いじめの定義など、いわゆる主要部分の記載に着目されることで、学校の姿勢を文言通りに評価されてしまう可能性があります。書き方によって意図しない評価を受けてしまう、ということもありえるのです。
各学校は、自分たちのいじめ問題に対する姿勢が学校基本方針に正しく反映されているのか、今一度確認したほうがよいでしょう。弁護士などの専門家にチェックさせ、より適切な記載方法を検討している学校もあります」
●報告書の「いじめ認定」は幅が狭い「同校の『程度が軽いものはいじめではない』、『いじめとして対処しなければならないものをできるだけ限定したい』といった意識は、今回の報告書にも表れているといえます。
報告書は、13の場面をピックアップし、そのうち6つについてのみ『いじめだった』と認定していますが、これはいじめだと認定する幅が狭いように思えます。
たとえば、5〜6月の学年・全校朝会で、生徒Bと生徒Cが村松さんをくすぐるなどしてからかったというケースをいじめと認定する一方で、5月下旬〜6月上旬、体育の走り幅跳びの計測中に、Bが村松さんの『ズボンを下げようとした』というケースは、いじめと認定していません。
この認定には、疑問があります。
たしかに、クラスメイトのズボンを下げようとする行為が『全て100%いじめだ』とは、言い切れません。
しかし、このケースでは、それと前後していじめが起きています。村松さんは、そのいじめに関与しているBから、ズボンを下げられそうになったわけです。他をいじめと認定しておいて『この瞬間はいじめではなかった』という認定は不自然です。
ノートを見ると、5月12日には『Bがさいきんしつこいです。やめてっていってもやめません』、6月3日には『ボクはBとケンカしました。ボクはついにげんかいになりました。もう耐えられません』という記述があります。
こうした点からすれば、ズボンを下げられそうになった時点で、被害者が苦痛を感じ、その尊厳が傷つけられていた可能性は、少なくないと思います。報告書には詳細が記されていませんが、前後の事情を考慮していじめと認定できるケースは、他にもありそうです。
このように、事件の報告書をつくった時点ですら、いじめを狭く捉えようとする意識が、学校内に残っている可能性がある点は心配です。報告書の内容に納得がいかないというご遺族の気持ちも、もっともであると感じます」
●「組織的な対処」ができていなかった「いじめと認識できなかったもう一つの大きな要因は、『学校全体でいじめに取り組む仕組みがなかったこと』でしょう。
本来、いじめ防止対策推進法では、いじめ専門の常設組織を設置して、いじめ問題に取り組むことになっていました。
ところが報告書では、常設組織であるいじめ対策推進委員会が『機能していなかった』と結論づけています
常設組織は、問題を先生ひとりに抱え込ませずに、学校全体で対応するための組織です。心理や福祉、医療、法律などの専門家も入れることになっていて、学校だけでなく、外部の力も借りて問題に取り組もうと、考えられているのです。
つまり、『いじめは担任の教師が一人で対処するものだ』という時代は、とっくに終わっていたはずだったのです」
●「ひとりの教師だけに頼るのは危険」今回の報告書によると、村松さんの生活記録ノートの6月10日の欄には「かんぜんに身体がつかれきついじょうたいです。あいつといるとろくなめにあいません。体調がますます悪化する。もうつかれました。もう死にたいと思います」と記されていた。
さらに6月28日の欄には「ここだけの話、ぜったいだれにも言わないでください。もう生きるのにつかれてきたような気がします。氏んでいいですか?」と綴られている。
最後のやり取りとなった6月29日の欄には「ボクがいつ消えるかはわかりません。ですが、先生からたくさん希望をもらいました。感謝しています。もうすこしがんばってみます。ただ、もう市ぬ場所はきまってるんですけどねwまあいいか・・・」と書き込まれている。これに対して、担任からの回答は「明日からの研修たのしみましょうね」だった。
報告書は、担任の対応について「悩みが吐露される都度、A君の心情を前向きなものへ転換し、解決が図られたと認識していた」と評価している。
真下弁護士は「もし、他の先生たちや、外部の専門家がこうしたやり取りを目にしていたら、あるいは、担任や部活の先生たちからの報告体制がしっかりしていたら、誰かが『いじめだ』と気づいて、学校全体での対処ができたかもしれません。常設組織が機能していなかったのが、本当に残念です」と肩を落とす。
「これは、いじめと認識しないで報告しなかった担任が悪いという、単純な話ではありません。村松さんが通っていた中学校では、いじめを狭く捉える風潮があったうえ、組織もうまく機能していなかったということですからね。
そもそも、いじめ対策を行うとき、ひとりの教師の能力や個人技に依存するのは、あまりに危険です。いじめ問題への対処経験は、人によって違いますし、これから経験を積んでいくという段階は、どの教師にもあります。それなのに、たまたま未熟な教師に当たってしまったから対処されなかったなどという不安定な環境には、安心して子どもを置けないし、置くべきではないと思います。
『いじめ防止対策推進法』が制定されて以降、いじめ対策は、複数の人間が関わる組織・システムで行うことが不可欠だと考えられています。担任の個人的な資質や能力よりも、学校としてそうした体制を作れていなかったことのほうを、より問題視すべきといえるでしょう。
今後は、構築した体制が一定の水準に満たないことをもって違法性が認定されるなど、法的責任の問われ方も変わっていくと思います」
●担任に「個人的な努力」を要求しても潰れてしまうこうした点は報告書でも指摘されており、「情報共有」や「組織的な対処」が、再発防止に向けた取り組みとしてあがっている。
しかし、「体制づくりに失敗した理由は何だったのか、これからどんな体制を構築しようとしているのかが、もっと語られるべきでしょう」と、真下弁護士は指摘する。
「体制づくりに大きな役割を担っていたであろう、校長の『責任』に関する記述では、いじめの認知・対応が適切にできなかったとか、落ち着いた学校であるとの過信があったなどとの記載にとどまり、体制づくりを行わなかった理由やその責任については、一切触れられていません。同校では、いまだに体制づくりの優先順位が、その他の事項に比べて、それほど高くないのかもしれません。
また、校長としての再発防止の取り組みに関しても、『常に点検、改善、向上の視点をもち、教職員と一丸となって、よりよい学校経営体制を追究・構築していく必要がある』という、とてもぼんやりした内容です。『情報を待つという姿勢ではなく』『校長自ら足で情報収集を行う姿勢が必要である』などとも記載されており、それはそれで大切なことなのかもしれませんが、少しポイントがずれていると思います。
何度も申し上げた通り、今後は、個人ではなく組織によるいじめ対策、いじめ予防の体制づくりを徹底していく必要があります。今回、学校は、担任について『常に気遣い、配慮を行ってきた』と評価していますが、それでも最悪の結果を防げなかったという事実を重く受け止めるべきです。
これ以上がむしゃらに『個人的な努力』を要求しても、教師を潰してしまうだけです。今一度、効果的な組織的な対応とはどのようなものかをきちんと検討する必要があります。
具体的な方向性としては、『いじめの定義』を現場に浸透させ、いじめを早期に発見できるよう『いじめの感度』を上げたうえで、次の2点が特に重要なのではないでしょうか。
(1)『いじめ』の疑い・おそれが生じたら、情報集約を徹底させること(集約の方法・仕組みまでを具体的に検討すること)
(2)その情報を分析し、対処法などを検討する常設組織には、専門知識を有する第三者を参加させること
いじめに対する共通認識を持ち、ささいなことであっても学内外問わず大人がみんなで情報を共有する。そうすることで、多くの大人たちが子どもを見守っていくことができると思います。
二度と痛ましい事件が起きないよう、今後、学校には、特定の教師だけがいじめ予防の責任を持たねばならないという認識を改め、徹底していじめ予防の体制づくりを実践していってほしいです」
(弁護士ドットコムニュース)
【取材協力弁護士】
真下 麻里子(ましも・まりこ)弁護士
早稲田大学教育学部卒。NPO法人「ストップいじめ!ナビ」理事。いじめの予防に取り組む。いじめ問題のほか教育に関連した問題に高い関心を持ち、学校や企業での講演活動なども行っている。
事務所名:宮本国際法律事務所
事務所URL:http://www.milaw.jp/