少し前、「安保反対デモに行くと就職できない」という声を伝えるネットニュースを受けて堀江貴文氏がTwitterで、安保反対デモに参加したことをカミングアウトしたら採用しないと表明して話題になった。
政治信条や思想がどうのこうのという話ではなく、『間違った理論に盲従する頭悪そうな奴』ということで単純に『仕事出来ないと思うから』らしい。
いろいろな意見はあるだろうが、個人的には経営者として極めてノーマルな反応だと思う。
もちろん、国会前で連日ワーワーやっている方たちのなかにも、「昨日もドバイで億の商談をまとめてきましたよ」なんてビジネスエリートがいないとも限らないし、現実にはずば抜けて優秀な方も常人の何倍も仕事ができるような方もたくさんおられるかもしれない。ただ、報道で伝えられるデモ参加者の言動を見る限り、堀江氏のような印象を抱かれてもしょうがない部分がある。
「安保反対」というのは政治的立場なので声高に叫んでいただいてもなんの問題もないのだが、「アベ政治の暴走を許すな」と一国の首相を独裁者扱いして糾弾する以上、「別の道」を示す必要があると思うのだが、今日にいたるまで具体的な安全保障スキームを聞いたことがない。
マスコミから取り上げられる学生団体のWebサイトにも、『対話と協調に基づく平和的かつ現実的な外交・安全保障政策を求めます』というどこかで誰かが言ったような「ふわっ」としたスローガンしかない。要するに、よく言われることだが、「反対ばかりで具体的な対案がない」のである。
●難癖をつける社員
これはビジネスパーソンとしてはかなりイタい。例えば、もしもあなたがサラリーマンだとして、シビアな決断を下す社内会議で、各々が具体的な解決策を議論している時にことごとく難癖をつける社員がいたとする。誰かがなにかアイディアを口にするたび、「それでは会社が倒産する」「社員が路頭に迷うぞ」と激しい批判を展開する社員に対して、だったら君の意見を聞こうじゃないかとみんなが水を向けたら、彼は胸を張ってこのように答える。
「創業者の思いを受け継いで、企業理念に基づいた民主的な経営をすればいいと思います」
いや、それはそうなんだけどさ……と思いっ切りズッコけてしまうのではないだろうか。対案なき反対をしている人々は、どうしてもこのように議論が上滑りしてしまっている印象なのだ。理念ばかりを唱えるのが青臭くて使いものにならないとか言っているわけではない。理念に固執するのは結構なことなのだが、それを実現するためにありとあらゆる方法を考えて実際に汗をかいて動くという「生産性のある仕事」をしていないと言っているのだ。
座り込んだり、プラカードを持ったりしてワーワーやって理念を実現するというのも尊い仕事だとおっしゃる方たちもいるかもしれないが、残念ながらそのような若者が即戦力になるのは社会運動や市民団体であって、一般企業で「生産性のある仕事」をバリバリこなしている姿は想像できない。むしろ、堀江氏の言うように「間違った理論に盲従」するあまり、自分だけではなく組織全体を危険にさらしてしまうイメージすらある。
実際、過去にそういう人がいた。
石橋政嗣(いしばし・まさし)氏である。ご存じの方も多いと思うが、社会党委員長も務めた安全保障の論客で、1980年にベストセラーになった『非武装中立論』の著者としても知られている。
降伏したほうがいい場合もある
この時代の社会党は「自衛隊は憲法違反」を譲らず、長期目標として「非武装宣言、自衛隊解体」を掲げ、丸腰になれば世界平和が実現されると訴えていた。そのロジックをまとめたのが石橋さんである。そんな人なのである意味一本筋が通っていた。「理念としては分かるが現実問題として外敵が来たらどうする」という今もよくなされる「脅威論」をふっかけられても、「降伏したほうがいい場合もある」なんて胸を張って答えたものだ。
「ネトウヨ」のみなさんが聞いたら怒り狂いそうな話だが、1980年代の日本ではそれなりにウケて『非武装中立論』は30万部超えのベストセラーになり若者たちがむさぼり読んだ。国士館大学政教研究所が首都圏の私大生約1000人に「日本の安全を保障する具体的な手段」を質問したら、日米安保、武装中立、日ソ善隣体制を抜いて、「非武装中立」が38%と最も多かったという。
なぜ『非武装中立論』はこんなにも若者たちの支持を得たのか。それを理解するのは、自民党幹事長を務めた田中六助氏がかつて漏らした愚痴が分かりやすい。
「憲法を字づら通り解釈するなら、社会党の言うほうが正しいに決まっている。だが、世界の情勢を考えるなら、そうだなどと言ってはいられないから、苦労しているんじゃないか」
しかし、「正論」を主張をしていた社会党は衰退していく。「間違った理論に固執」して現実に対処できなかったからだ。
●自衛隊は違憲だが合法
1983年9月の衆院予算委員会で、日米安保強化を巡ってシーレーン防衛を表明する中曽根康弘首相と、石橋さんが憲法議論を行った。2時間にも及ぶデスマッチは見応えはあったが、「理想」と「現実」の議論は最後まで噛み合うことはなかった。ただ、戦いを終えた中曽根さんは「私のほうが合理的であり現実的」と手応えを感じていた。「丸腰にならないと世界平和は実現できない」という理想論は冷戦下の安全保障を否定する「対案」にはなりえない、という事実が論戦を通じて全国民にも理解できたというのだ。
確かに、この論戦以降、ブレない平和主義者が「迷走」を始める。翌年2月27日に開幕した社会党大会で石橋さんはこんな「間違った理論」にたどりついてしまう。
「自衛隊は違憲だが合法」
野党連立政権を樹立するためには自衛隊を合憲とする公明党や民社党とのすり合わせが不可欠だった。その「現実」に対処しなくては党として生き残れない。しかし、「理念」を捨て去れば……というジレンマから「間違った理論に固執」してしまったのだ。
この「変節」が社会党崩壊の引き金となる。どんなに理念が気高く素晴らしくても、国内ですらそれを貫き通すことはできないのに、世界も人々に理解を求めることなどできるのか――。このような疑念が当時の若者たちの間にもわきあがり、「非武装中立論」は急速に支持を失っていく。焦った石橋氏は一発逆転を目指して、渡米してワインバーガー国務長官に「この道(非武装中立)はずっと以前、マッカーサー(元連合国軍最高司令官)に教えられた」と論戦を挑んだが、「50年代のソ連の状態ならばそれでよかったが、現状はそういうことは許されない」と軽くあしらわれた。
その後の社会党の衰退はご存じのとおりだ。選挙でボロ負けした責任をとって石橋氏は政界を引退。その後、社会党は政権をとったが村山さんは最初の国会でしれっと「自衛隊は、憲法の認めるもの」と答弁、日米安保体制も堅持を表明して石橋理論を全否定したが、時すでに遅そく、議席減に歯止めがかからなかった。野党第一党の座が転落するやあれよあれよというままに組織として崩壊してしまったのである。
日本は「戦前」に向かっているのかも
このように「間違った理論に固執」して暴走をする組織というのは日本社会の宿痾(しゅくあ)みたいなものだ。戦前の代表が日本軍である。「天皇陛下がいらっしゃる神の国が戦争に負けるわけがない」というなんの根拠もないスローガンを叫び、現実的な対案を出した者たちには容赦なく「非国民」のレッテルを貼る。結果、勝ち目のない戦闘を続けて、なんの罪もない国民を多く死なせてしまった。
こんなことを言ったら怒られてしまうかもしれないが、反対デモからも社会党や日本軍と似た「組織臭」がプンプン漂ってくる。
「憲法9条がいらっしゃる平和国家に他国が戦争を仕掛けるわけがない」という根拠のないスローガンを叫び、現実的な対案を出した者たちには容赦なく「軍国主義者」のレッテルを貼る。1人1人は尊い理念の実現にまい進しているつもりでも、全体を一歩ひいて見るとえらく好戦的な集団に見えてしまうというのも日本軍と妙に重なる。
もしも自分が採用担当者だとしたら、やっぱりデモ参加者の採用はかなり悩むと思う。政治思想やらは関係ない。こういう組織に属していてなんの疑問も抱かず理論に固執できるという「客観性の欠如」がビジネスにどう働くか未知数だからだ。
あくまで個人の意見である。かつての体育会系経験者みたいなノリで「あの炎天下のなか毎日がんばっていたのか。若いのに根性あるじゃないか」と有利に働く場合もある、かもしれない。一部マスコミは反対デモの大学生を持ち上げて、「この国の未来は明るい」なんてもちあげている。
そうであることを、心から祈りたい。
(窪田順生氏)