甲子園の風物詩となっているのが、惜しくも敗れた球児たちが、涙ながらにグラウンドの土を集め、持ち帰る光景だ。この風習は故・川上哲治さんの球児時代にはすでにあったといい、甲子園から出ていく土の量は、年間なんと約2トンにも上るという(朝日新聞2013年7月13日付朝刊)。
ところでそんな「甲子園の土」だが、いったいどこから来た土なのかご存じだろうか。
2種類の土を匠が絶妙にブレンド甲子園球場のグラウンド整備を一手に担っているのは、阪急阪神系列の企業・阪神園芸だ。
グラウンドの土の素材となるのは、園芸にもよく使われる「黒土」と、水はけのよい「白砂」。黒土ばかりだと硬くなりすぎてしまうし、白砂が多いとグラウンドが白くなってしまい、ボールが見えにくくなる。
天候などとも相談しながら、季節に合わせて両者をブレンドして作られるのが、「甲子園の土」なのだ。そのバランス調整は、まさに匠の技だという。
最初は甲子園の近くで集めていたけど...さて、その黒土と白砂の産地である。
創設当初は、岡山県の丘陵地・日本原から黒土を、また白砂は球場のすぐ近く、香櫨園の砂浜から集めていた。ところが1975年ごろから、採取への規制などの事情で、この2カ所からの調達が難しくなってしまう。
その後は試行錯誤を繰り返しながら、現在まで主力となっているのが鹿児島県産の黒土だ。きめ細かさと適度な粘り、そして保水力を持ち合わせ、甲子園にとってはまさに理想の土だった。過去の新聞報道(朝日新聞1996年8月16日夕刊)を見ると、この土の存在を知った阪神園芸側が、現地の業者に入れた電話がなかなかふるっている。
「いい土があるそうですね」白砂の方は中国から来ている
甲子園球場の公式サイトによれば、鹿児島以外にも三重、大分、鳥取などからも土を納入し、これらを混ぜて使っているという。「初代」である岡山・日本原の土も使用されているそうだ。もっとも産地は「毎年決まっているわけではない」とのこと。
また、白砂の方は、意外にも遠く中国・福建省から運び込まれている。水はけの良さが、選ばれた決め手だったそうだ。
というわけで、甲子園の土は「どこの土」というより、担当者がこれまでの経験と技術に基づいて作り上げた、まさしく「甲子園の土」と呼ぶべきだろう。観戦の時は球児はもちろん、その土に精魂を傾ける人たちのことも、たまには思い出してみては?