「子供を殺して下さい」――。この言葉が発せられたのはフィクションの中ではない。20代の子供を持つある母親が、まぎれもない現実で発した言葉だ。この言葉を受けたのは、押川剛氏。家族からの相談を受け、問題行動のある精神疾患者を、適切な医療機関に引き渡す事業を運営している。その様子は、TBSテレビ「水トク!」でも放送された。
ここでいう問題行動とは、万引きや暴力といった警察沙汰になる行動や、長期にわたる引きこもり、患者本人が医者に行くことを拒否しているケースを指す。こうした、家族が手に負えないケースに力を貸してきた押川氏だが、近年特に増えているのが、60代以上の親からの子供に関する相談だそうだ。親がこの年代ということは、子供といっても既に30代・40代の大人であり、精神疾患や問題行動は今に始まったことではない。頼れる先がなく長期にわたって親だけで抱えてきたが、限界になり押川氏の下に相談がくるのだという。
著書『「子供を殺して下さい」という親たち』(押川 剛/新潮社)から、実際の例を紹介しよう。統合失調症を発症したある男性は、猫をバットで殴り殺す、妄想と現実の区別がつかないにもかかわらず、何年も医者には行っていない。両親はどうしたらよいかわからぬままだ。また、被害妄想にとりつかれ引きこもるある女性は、風呂に入らず、ゴミと趣味のグッズやCDに埋もれて暮らす。母親が同居しているが、奴隷のようにいいなりになっている。こちらは、離れて暮らす妹からの相談だった。
このような例に対して、押川氏が行うことは、まずはできる限り本人を説得の上、入院をさせること。そして、ある程度落ち着いたところで、退院後の生活について相談にのることだ。毎日の服薬習慣を身につけさせ、定期的に病院に通う約束をする。また、場合によっては、押川氏監督の下で寮生活を送らせることもある。
なぜ、彼らは何年も問題行動が現れているのにもかかわらず、放置されてしまうのだろうか。理由は大きく2つある。ひとつ目は、問題の現れ始めは注意をしていた親も、暴力や暴言で抵抗され続けると次第に叱る気力がなくなり、次第に子供の機嫌をとるようになること。2つ目は、医療機関に連れて行っても、薬が効かないと、医者から通院を嫌がられること。こうして、対処は先送りされてしまうのだ。その結果、親は肉体的にも精神的にも限界になり、冒頭に挙げた言葉が発露する。
このような限界状態になる前にできることとして、押川氏は「相談」を挙げる。保健所や医療機関に相談することは、たとえ、医者が診察を渋るような患者であっても欠かせない。子の問題なのだから、親が何とかしなくては、と抱え込むのではなく、早めに第三者の手を借りて、問題がこじれるのを防ごう。押川氏は、上手な相談のポイントを次のように紹介する。
(1)相談は直接、何度も、明確な要望を伝える
(2)患者の生活状況、通院歴、成長過程をまとめておく
(3)証拠を残す
(4)親自身のことも振り返ってみる
残念ながら、親の中には、自分は被害者だと思っていたり、“治療の成功=子供が問題の出る以前の姿に戻ること”と勘違いしていたりする人がいる。親も治療者のひとりと自覚しなければ、状況の改善は見込めない。
現在、日本で鬱病などの精神疾患で医療機関にかかる人は300万人以上。まだ子供は小さいしうちの子に限って大丈夫という人も、もしくは、自分は精神疾患なんて無縁という人も、頭の端に置いて欲しい相談の仕方だ。将来、「子供を殺して下さい」と言わないために…。
文=奥みんす