青森県に「八戸」という地名があります。「八戸市」は下北半島の付け根部分にあって、太平洋に面しており、日本でも有数の漁港があることでも知られています。さて、この「八戸」という名称の他にも「○戸」という地名があることをご存じでしょうか。
■一戸から九戸まである!
「○戸」の○には数字が入ります。「一戸」から順番に「九戸」まであるのです。
・一戸(いちのへ):岩手県/一戸町
・五戸(ごのへ):青森県/五戸町
このように、一から九までそろっているのですが「四」だけないのです。上記の「○戸」というシリーズ(?)の地名は、青森県と岩手県にまたがって存在します。ですので「この辺りが四戸(しのへ)なのでは?」と思われる場所はあるのですが、実際には「四戸」は存在しません。
■「四戸」はあったのか? それとも最初からない?
「四戸」は昔はあったのに歴史のどこかで消えたのでしょうか? それとも最初からなかったのでしょうか?
調べてみますとこれには諸説ありますが、「昔はあった説」が正しいようです。現在の八戸市の「櫛引(くしひき)」辺りがかつて「四戸」だったのではないかと推測されています。というのは、この地にある「櫛引八幡宮」がかつては「四戸八幡宮」という名称だったことが分かっているから、というのです。
「櫛引八幡宮」の社務所に伺ったところ、
「確かに以前は『四戸八幡宮』という名称で、神社に残る史料によれば1366年(正平21年)には確かにその名前だったことが分かっています」とのこと。また「四戸がなぜなくなったのかについては、四戸という地域が細長く(為政者にとって)管理しにくかったからという話があります」とのことでした。
四戸がなくなった時期については「残念ながら分かりません」とのことで、明治時代には存在したのでしょうか、と伺いましたが「それより以前になくなっている」そうです。
そこで八戸市立図書館にお伺いしたところ、
「四戸という地名は、櫛引、また旧南郷村、旧名川町、旧福地村の辺りにありました。しかし、江戸時代初期に盛岡藩が行政区分を変更する際になくなったのです」
とのことでした。
櫛引八幡宮は、 1189年(文治5年)の奥州合戦で戦功を挙げた南部光行が源頼朝から現在の「岩手県北部・青森県東部」に領地を賜り、1191年(建久2年)に入部、創建されたと伝わっています。1366年に神社の名前が四戸八幡宮だったということは、その時点で四戸という地名は存在したのですが、江戸時代初期になくなり、そのままずっと現在まで「失われたまま」というわけです。ただし、なぜ消えたのかの詳細については謎のままです。
(高橋モータース@dcp)