安倍総理の戦後70年談話が、いたるところで話題になっていますね。
中には「反省していない!」「謝罪していない!」とわめいているサヨクマスコミもあります。どうか皆さんは、そんな歪んだ話に耳を傾けないで下さいね。一応、言葉の専門家として、指摘しておきます。そんな指摘をするマスメディアはただ、文句を言いたいだけの勉強不足な連中です。
「反省」とは「“自分の”してきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること」や「“自分の”よくなかった点を認めて、改めようと考えること」を指した言葉です。主語を見ていただければわかる話ですが、「自分」という存在が、する行動を指します。
では、「戦争」を起こした「自分」とは誰でしょう?
「70年前の日本政府」の「人間」です。「政府」って言っても所詮は人間の集合体です。その「人間」たちはすでに、アメリカや世界に処刑されています。A級戦犯として。
私は、戦時中、日本が「罪を犯した」とは1ミリも思っていない人間です。世界を取材して。色々と考えての結論です。強いて言うなら、「世界中が反省すべき」か「日本も含めて反省しない」の2択です。
「親の罪を子に着せるなど滑稽だ」
当たり前です。だって「今を生きている我々は」罪なんて犯していないのですから。
このコラムを読んでいる皆さんは、同じ学校のクラスに、親が犯罪者の子供がいたとします。その子供はあなたの友人であり、とてもいい性格の子供だったとします。あなたはその子に言うのでしょうか?
「オマエは犯罪者の子供だ! 謝罪しろ!」
あなたは人間として最低の人間です。完全に間違っています。あなたのクラスにいる友人は何も悪いことなどしていないではないですか。その感情は「差別」といいます。人間として最も恥ずべき感情です。
70年もたって、戦争も知らない我々日本に対して、懸命に「日本よ、謝罪せよ!」と言ってきている中国も韓国もこれと同じです。はっきり言って国際社会的に全く理解されない要求ですし、あまりに理不尽で情けない行為です。
中国にも韓国にも、もちろん世界にも、私たちが謝罪する必要も反省する必要もないのです。戦後70年。もう一度、そんな当たり前すぎる誰でも分かっていることを再認識すべきだと思います。
長谷川豊(Hasegawa Yutaka)