大前研一「驚きの名案は、疑り深い人間から生まれる」[1] | ニコニコニュース

大前研一氏●1943年生まれ。マサチューセッツ工科大学院で博士号取得。マッキンゼーのアジア太平洋地区会長を経て、現在はビジネス・ブレークスルー大学学長。
プレジデントオンライン

大前氏の朝は早い。毎朝4時に起床し、世界の500記事をチェックし、NHKBS放送で海外のニュースを視聴する日々を送っている。膨大な情報の中からどのような点を見つけ、行動を起こしているのか。

■自分が社長だったらどうするか

私は映画やテレビドラマをまったく観ない。理由は簡単で、自分で筋を作りたくなってしまうからだ。「そこは違うじゃないか」「何を考えているんだ、この監督は」と観るとイライラしてしまう。同じ理由で学生時代にはよく読んだ小説も読まない。コンサルタントという商売柄、「自分ならどうする」という視点で物事を見るクセが染みついている。コンサルタントの仕事は、組織の内側からは見えてこない、気づかない課題に対して具体的な解決策を提示することである。

誰の目にも明らかな問題点を羅列するのはダメコン(ダメなコンサルタント)の仕事で、そういうコンサルに限って問題点を逆読みしただけの策を提示してくる。データの表面をなぞった結果を報告するのが仕事と思っているガキコン(幼稚なコンサルタント)もいる。しかし、経営トップがコンサルタントに求めるのは「今日の降水確率は30%」というような“気象予報”ではない。膨大なデータから導き出してきたシャープな結論である。「傘を持っていきなさい」「傘は持っていかなくても大丈夫」という、問題を解決するために必要な具体的な提言だ。

私のコンサルティングの基本は「自分が社長だったらどうするか」である。現場に足しげく通って綿密なフィールドインタビューを繰り返し、経営トップが知りえないような情報をかき集めて、問題点の背景にある原因のさらにまたその原因や課題を炙り出していく。そして自分が経営トップならどう対処するかを客観的に判断して、具体的でわかりやすい提言を1つにまとめていく。

そうやって経営者にアドバイスすれば、私も経営者もお互い“悔い”が残らない。結果として、そのアドバイスが間違っていたとしても、「あなたは本当に私のために、私に代わっていろいろ考えてくれた。私もそれに基づいて決断した」と相手側も納得してくれるからだ。極端に言えば、「私が社長の立場なら、今すぐ辞めますね」とアドバイスすることもある。逆にそこまで言えるのは、常に相手の立場で考えているからだ。

■フレームワークを作り、構成要素を当てはめる

当事者になったつもりで課題解決の筋道を考える。これはプレジデント誌連載の「日本のカラクリ」で行っているような政策提言においてもまったく同じである。「日本国株式会社」の経営者として日本をよりよくするためにどうしたらよいか、という視点で常に政策を考えているのだ。

たとえば安倍政権が目指しているとされる憲法改正の問題。私は改憲派でも護憲派でもない。言うなれば「創憲派」で、憲法をゼロベースで作り直すべきであるというのが、かねてからの主張である。

今から20年以上前に、『平成維新』(講談社)で自分なりの憲法を書いてみたこともある。アメリカの独立宣言を書いた第3代アメリカ合衆国大統領トーマス・ジェファーソンになったつもりで、大前流の国家運営の基本理念を記した。著名な憲法学者からも「こんなものは初めて見た」と驚嘆されたのだが、なぜ学者でもない私にそんなことができたのか。それは憲法について私なりの「フレームワーク(枠組み)」を持っていたからだ。

日本で憲法論議というと第9条の解釈ばかりが問題になり、フレームワークに関する議論は圧倒的に少ない。今の日本に必要な憲法はどのようなものか。憲法にどういう項目があればいいのか。そうしたフレームワークの議論からスタートするべきというのが私の考えだ。『平成維新』を書いた当時、私はマッキンゼーにいたが、実際に「ゼロベースの憲法作り」を新人研修の一環として取り入れた。

真っ白な紙の上に今の日本にふさわしい憲法を書く場合、やらなければならない作業が少なくとも3つある。1つは、世界の中で日本が置かれている立場を知ること。2つ目は、憲法が制定された当時の日本と今日の日本の違いを認識すること。3つ目は、世界の憲法を勉強することだ。新人研修でそうした作業をさせ、自分自身で世界の憲法を調べてみると、憲法の概念というものが国によって驚くほど異なることがわかった。たとえばスイスやイタリアでは「社会におけるテレビの役割」まで、憲法に書かれている。イギリスの自然法を含めた世界中の憲法を勉強すると、国の基本法である憲法で定義しなければならない項目とは何か、つまり憲法のフレームワークと構成要素が見えてくる。フレームワークを作り、構成要素を当てはめていくと、憲法に必要なチャプター(章)もわかってくる。

■もっとおかしいのは地方自治体

国民の生活全般を規定する基本法というフレームワークの観点から言えば、現行憲法には抜け落ちている項目が多い。

現行の憲法は、そもそも第二次大戦後に占領軍が起草したものである。明治憲法を下敷きにしながらも、フランス革命のときの人権宣言、それを踏襲したアメリカ独立宣言の流れを汲んでいる。それゆえに憲法では国家と個人の関係については書かれているが、生活基盤である地域のコミュニティと個人の関係、市町村や都道府県と個人の関係については何も書かれていない。そもそも、税金を徴収する市町村や都道府県と個人の関係性が憲法で定義されていないのもおかしい。もっとおかしいのは地方自治体だ。第8章で定義されているのは地方公共“団体”で、地方政府ではない。ドイツのように地方政府に3権と徴税権を与えている国とは大違いだ。江戸時代から続く日本の悪しき中央集権の元凶がここにある。

家族については第24条で少し触れられているだけで、家族の定義や家族の責任、国家と家族の関係、親の責任や義務など、肝心なことは何も書かれていない。国家で唯一富を生む主体である企業についても何も書かれていない。政府はあくまで富の再分配機関であり、富をつくりだす企業がなければ国は成り立たないのに、だ。国家は企業に対してどういう考え方を持っているのか、産業の育成にどうかかわってくるのか、国と企業や産業の関係性について規定してしかるべきだが、それらの点について、現行憲法は一切言及していない。

世界や他国との関係についても、現行憲法では何も語られていない。前文や第9条で「国際社会において名誉ある地位を占めたい」とか、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」と書いてあるが、それはほとんど敗戦直後の反省の弁に等しい。世界有数の経済大国になった日本として国際社会にどう向き合うのか、世界に対してどういう働きかけをしていくのか、憲法で謳うべきだ。

第9条の「戦争放棄」にしても、今の日本が置かれている国際社会の状況にはそぐわない。だから条文を拡大解釈せざるをえなくなるのだ。近隣諸国とこれだけ揉めて、偶発戦争が起きかねない状況で、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という文言が通用するのか。「武力で紛争を解決しない」というのなら、代案を示すべきだろう。

現行憲法の問題点を挙げればきりがないが、こうしたことに気づいたのも自分でフレームワークを作って白い紙の上に「私ならこういう項目をこのように盛り込む」という態度でゼロベースの憲法を書いてみたからである。誤文訂正のような憲法論議ではそういう発想は出てこない。フレームワークに基づいてチャプター取りをしていくと、現行憲法に足りないもの、整合しないものが見えてくる。

自分で憲法を組み立てたときに一番扱いに困ったのは天皇についてである。「人間は生まれながらにして平等である」という世界人権宣言からスタートして「主権在民」を旨とする、と憲法を書き始めると天皇を定義するときに矛盾が生ずる。そこで駐留軍は冒頭(第1章)に象徴天皇制を置くしかなかったものと思われる。もっともこれは伊藤博文の起草した明治憲法と同じ構成で、「以下に述べる憲法は御意の限りにおいて成り立つ」、という絶対君主制を宣言する文である。私が書いた憲法には天皇制は盛り込まれていない。天皇の存在は、自然法の中で2000年以上も続いてきたもので、国家と国民の関係を定義する憲法で天皇制を取り扱うべきではないと考えるからだ。