【藤野】企業や組織を語るときに、会社の規模や知名度で価値を判断する人が多いようですが、投資の世界では、どの会社もフラットに見ます。なぜなら、投資はつねに「未来志向」だからです。規模や知名度は過去に対する評価ですからね、過去は投資には関係ありません。
【若新】未来を評価する、というのは、大切ですが難しいことですね。
【藤野】僕らは投資対象のことを、専門用語で「ユニバース」と呼びます。つまり「宇宙」です。日本には約3600社もの上場企業があり、それ自体が宇宙を形成していると考えます。投資する人はもっと多く、それぞれ異なる視点を持っています。たとえば、長期投資を好む人もいれば、短期投資こそすべてと考える人もいるし、日本人投資家もいれば外国人投資家もいる。つまり、投資家もユニバースなんです。
さらに、個人のなかにも愛情や憎しみ、エゴ、社会性などさまざまな感情や気質が共存し、ユニバースを形成している。こうしたマイクロユニバースが無数に集まり、統制が効かないのが投資の世界です。けれども、ユニバースが集まれば集まるほど、全体としては知性が増す。いわゆる“神の見えざる手”が働く。ここが投資の面白いところでもあるし、こういった“宇宙観”がすごく大事だと思っています。
【若新】同感ですね。藤野さんが「ユニバース」と呼んでいるものは、僕が「カオス」と呼ぶものと表裏一体ですね。カオスがおもしろいのは、混沌の中に、そこにしかない秩序が新しく生まれたりもすることです。NEET株式会社がまさにそうで、メンバー同士が激しくぶつかり喧嘩しながら、彼らなりの秩序を生み出しつつあります。またすぐに壊れますけど……(笑)。彼らを見ていると、カオスの中にこれまでにない新しい秩序を見出せるかどうかが、人間の歴史の醍醐味のような気がしています。
【藤野】投資はユニバースだと言いましたが、たとえば投資信託を組成する場合、3600社の日本株のうち、どの会社を選んでもいいし何社選んでもいい。その比率も自由です。私が運営しているのは、日本の成長企業へ投資するファンドですが、その中には大企業もあれば小さな会社もあるし、経営者が辣腕をふるう会社もあれば、そうでない会社もある。とにかく“ぐちゃ”っと見えるんです。これについてライバルのファンドマネージャーがよく言うのは、「ファンドの顔が見えない」「何を目指しているのかよくわからない」と。
【若新】そういうことを、わざわざ明確にしたがる人が多いですよね。僕もよく聞かれます。「若新さん、このプロジェクトのゴールは何ですか?」って。僕が実験的なプロジェクトで目指すのは、ゴールではなく、「変化そのもの」です。変化を積み重ねていけば、僕たちは何かしらの結果を生むことができると考えています。同様に、投資家がはじめからゴールの見えているものに投資するのも、つまらない話ですよね。
【藤野】東洋には「不完全は完全である」という考え方がありますが、僕はその考え方が好きなんです。徳川家康にもそのような考え方があったようですね。日光東照宮の陽明門には猿の絵が描かれており、一つの柱だけ猿の顔が逆さに描かれていますが、これは「完成した瞬間に崩壊する」と考えた家康による意図的なミスだと言われています。完璧に仕上げるのではなく、未完成のままにすることよって永続させよう、と家康は考えたわけです。
【若新】その考え方は、僕の研究テーマにも通じます。僕が違和感を覚ることのひとつに、社会人として働くとき、早い段階で完成体が求められることがあります。いま「22歳新卒採用」が企業への入り口になっていますが、その実態は“完全”という虚構同士のマッチングです。“よく働く新卒の若者”という虚像と、“若者を大事にする企業”という虚構。だから入社や採用のあとに「そんなはずじゃなかった」となるわけで。
大事なことは、お互いに不完全であることを認め合ったうえで、どう手を取り合って、補い合っていくかだと思います。むしろ、若者は自分たちがどれだけ不完全な存在かをプレゼンし、企業が「それでもいいね!」といって採用するくらいじゃないと。僕が企画している採用プロジェクトでは、それを徹底しています。やりすぎてむちゃくちゃになることもありますけど(笑)。
【藤野】採用活動における面接は、本来、自分たちに合った人を採用するためのものだったはずです。けれども、“理想的な就活生”という虚像を求めるあまり、「面接でうまくコミュニケーションができるかどうか」が採用の基準になってしまった。その結果、発達障害やコミュニケーション障害の人たちが就職できる余地が極端に狭くなってしまったのです。昔は、そういう人たちはコミュニケーション能力に問題があっても、特殊な能力を持つケースもあったので、職人的に採用されて活躍した人がいたものです。
【若新】そう考えると、昔の社会には、許容の幅があったんでしょうね。それは、やさしさとは違って、ある程度の幅のなかで僕らのズレや偏りが認められていたということです。ところが、いまの時代は、ものすごく限られた範囲や枠に収まる人だけが許容されて、そこから外れた人は社会的福祉で保障しようとする。福祉って、やさしさのように思えて、やさしくできないことへの後ろめたさのような気がします。ほんとうのやさしさとは、手を施すことではなくて、幅を認めることだと思うんですよね。
【若新】幅が認められない社会では、人と人とを堅くて小さな輪っかでつなぎとめようとします。しかし、きつくつなぎとめようとするほど、人は反発したり、それを壊そうとするんです。一方で、僕の目指すコミュニティは、「いくらでも伸びる柔らかいひも」でつながっているので、壊しようがない、というものです。
【藤野】強く縛らないほうが、つながりが広がっていくことは、僕自身も実感しています。僕が主催するピアノのサークルには、およそ1000人が集まっていますが、これがいま日本で最大のピアノサークルになっています。僕らは会費も取らないし、会則も名簿もない。全国各支部の責任者はいますが、お互いにどこに住んでいるかも知らない。SNSの世界でのつながりだけです。各地で定期的にピアノの弾き合い会を開いています。地域を超えて参加するのも自由。そこには出会いがあり、なんと過去5年間で20組が結婚しました。
他のピアノサークルは、会費を取ったり、名簿をつくったり、会としてのあり方を議論したりしているようですが、すぐに喧嘩したり、崩壊してしまうようです。一方で、会費も会則もない僕らの会だけが大増殖している。ルールを設けないほうが、柔らかいけれど強靭な組織になり、信頼も生まれると思いますね。
【若新】そう思います。僕はいま、「ゆるいコミュニケーション」をテーマに大学で研究しています。おっしゃるとおり、これまでどんな団体でも、会費や会則があって、会をまとめる役員や幹事がいて、というふうにシステムでつなぎとめることが必要だと考えられてきました。しかし、システム化すればするほど、一定のレベルを保てるように思えて、じつはすごく息苦しい空間になってしまいます。
そうではなくて、極めてゆるやかなつながりだけれども、その場にいたくなる、粘りっけの強いコミュニティ。毎回参加できない人や、レベルに差がある人も許してあげられるようなコミュニティ。そういうものが僕たちには必要だし、社会の一人ひとりの多様な価値を高めていくにも重要な気がしています。
でも、それのリターンが不明確であることも確かだと思うのです。未来が予想しづらい。そんな「柔らかなつながり」にも、これから投資価値が出てくると思われますか。
【藤野】すごくあると思います! あとは、そのコンセプトに賛同できる人たちにどう情報を届けるか、これを“新たな投資”としてコミュニケーションするにはアイデアが必要だと思います。
【若新】是非、一緒に考えさせてください!