苦痛に苛まれることなく、安らかに逝きたい──これは万人に共通する考えだろう。にもかかわらず、日本では無為な延命治療で苦しみながら死ぬ終末期医療がまかり通っている。
その弊害はもはや看過できなくなっている。患者の意に反した終末期医療の実態とはどういうものか。医療関係者を取材すると、日本の少なくない病院や高齢者施設で「苦痛にのたうち回る患者の姿」が日常的に目撃されていることがわかった。
寝たきりになったほとんどの患者は自分で寝返りが打てないため、皮膚の血流が途絶え、床ずれ(褥瘡)ができる。点滴や経管栄養の管を抜かないよう両手を縛られるケースも多い。寝たきり期間が長くなると、患者の関節は曲がったままで伸びなくなる。一度固まった関節を無理に動かそうとすれば全身に激痛が走る。
痰がたまっても自分で吐き出すことができず、窒息を避けるため気管を切開してチューブを挿入し痰の吸引が行なわれる。この時、意識の有無を問わず、ほぼ全ての患者が「苦しみにのたうつ」と関係者は口を揃える。
延命治療をやめたことで「穏やかな死」を迎えられるようになったと話す医療関係者は多い。『欧米に寝たきり老人はいない』(中央公論新社刊)の著者で、「高齢者の終末期医療を考える会」代表を務める、桜台明日佳病院・認知症総合支援センター長の宮本礼子氏は語る。
「胃ろうや点滴などの延命措置をしないことで眠るように安らかに亡くなります。それを裏付ける研究もあります。動物を脱水や飢餓状態にすると脳内麻薬の一種である『β―エンドルフィン』や肝臓で生成され脳の栄養源ともなる『ケトン体』という脂肪酸の代謝産物が増えます。これらに鎮痛・鎮静作用があることがわかっており、延命措置をしない患者が穏やかに息を引き取るのは、臨終時に両成分が生成・分泌されるためと考えられています」
実際、宮本氏はこれまでの診療経験の中で、そういう患者をたびたび目にしてきた。1人で座ることもできない重度の認知症があり、老衰のA子さん(享年96)のケースでは、本人が延命治療を望んでいなかったため、点滴や経管栄養は行なわず、食事は「食べられるだけ、飲めるだけ」にした。
亡くなる1か月前から食事は数口に減り、2週間前には少量のお茶を飲むだけになった。しかし亡くなる4日前でも「温かいお茶が飲みたい」と希望を口にし、前日には「ありがとう」と宮本氏に言った。死亡直前、家族が病院に向かっていることを伝えると「そうかい」と返答。その8時間後に亡くなったが、最期まで話すことができた「安らかな死」だったという。
「他にも、延命はせず自宅で看取ることを選んだ複数の患者さんがいましたが、皆さん静かに息を引き取られ、家族の方が『こんな穏やかな死に方もあるのですね』と驚かれていました」(同前)
※週刊ポスト2015年9月11日号