認定スクラムトレーナでコンサルタントであり,‘Mike Cohn Agile Signature Series’や‘Scrum Shortcuts Without Cutting Corners’の著書を持つIIan Goldstein氏が,The Scrun Myth-Buster Seriesと題したブログ記事を書いている。これまでに4つのパートが公開済みだ。シリーズでは大小含めて,次のような俗説(Myth)を取り上げる予定である。
氏はまず,“スクラムは頭字語である”という最初の俗説をシリーズの“パート1”で取り上げて,スクラム(Scrum)は頭字語ではなく,ラグビーのスクラムにちなんで命名されたものだと説明している。
パート2の内容は,スプリントは速度ではなく距離に関するものである,という説明だ。
実際のスクラムは,アジャイルマニフェストの第8原則にもあるように,維持可能な開発プラクティスを促進するためのものです。
スプリントとは距離に関連することばであって,スピードではなく,短距離のスプリントレースと,非常に距離の長い(終わりが見えないほど続くように思える)マラソンとの対比に注目するべきです。スプリントはチームに対して,何度も立ち止まったり,呼吸をしたり,この先の道をチェックしたり,あるいは間違ったトラックに迷い込んでいないことの確認を許しています。
パート3では,ソフトウェア開発以外でのスクラム実践について語っている。
そしてここに,深刻な俗説があるのです – スクラムはソフトウェア開発だけのためのアプローチだという ... しかし事実はこうです – スクラムの原理であるScrum Guideを読めば分かるように,ソフトウェア,あるいはエンジニアリングということばは,どこにも述べられていません! スクラムはどのような領域や産業にも適用可能なように,もっと上のレベルで意図的に抽象化されているのです。
アジャイルマニフェストにも,“包括的なドキュメントよりも動くソフトウェアを”,とある。氏が強調するのは,マニフェストの脚注にある,“すなわち、左記のことがらに価値があることを認めながらも、私たちは右記のことがらにより価値をおく”,という部分の重要性だ。この点に注目しながら,氏は,第4の俗説であるアジャイルのドキュメントについて,パート4で説明する。
ドキュメントが必要ならば,敬遠してはいけません。記憶のためにドキュメントを作成することと,先行的管理をしているという人為的感覚を得るためにそれを使用することには,大きな違いがあります。スクラムでユーザストーリ形式を使用するのは,詳細なドキュメントの必要性を排除するためではありません。適切なタイミングで適切な詳細レベルのドキュメントを用意する,ということなのです。
残る俗説についても,今後数ヶ月かけて執筆する予定だ。InfoQは氏に,スクラムの俗説について聞いた。
InfoQ: スクラムの俗説について書こうと思った動機は何だったのでしょう。それについて知ることが,なぜ重要なのでしょうか。
IIan: 私は認定スクラムトレーナとして,さまざまなチームと知り合う機会に恵まれてきました。その中で,スクラムの成長と同時に,さまざまな俗説が拡がるのを目の当たりにしました。‘真のスクラム’が何であって‘リップサービス的なスクラム’が何なのかについて,私たち全体が同じ考えであることを確かめる上で,ここがグローバルな転換点だと思ったのです。
InfoQ: このようなスクラムの俗説が,さまざまな組織に根付いているのはなぜだと思いますか。
IIan: 一般論としては,教育の質が低いからでしょうね。
InfoQ: ソフトウェア以外のスクラムを取り上げていますが,ソフトウェア開発以外のスクラムの実践例をひとつあげて頂けますか。
IIan: 私の著書である“Scrum Shortcuts Without Cutting Corners”は実際に,スクラムを使って執筆,編集されています!
InfoQ: スクラム実践者に対して,何かメッセージをお願いします。
IIan: 教義主義的にならないことです。ラベルに捕われてはいけません。実践を重視して,第1原理とその意図に常に立ち戻ってください。