本棚の一角に並べておくだけで「オレってなんか頭良さそう……!?」と思えてきてしまう岩波文庫。
そんなやましい気持ちで購入した人(筆者)の場合は、購入しても読み通せるものは1~2割程度だったりするのだが、岩波文庫に収められた古今東西の古典には、その難解さに応じた読み応え・面白さも確実にある。
そんな岩波文庫から、この8月に刊行されたのがパスカル(1623~1662)の『パンセ』(上巻)。あの「人間は考える葦である」の格言でおなじみの古典的名著だが、意外なことに岩波文庫では初収録とのことだ。
「『パンセ』って短い断章が集まった本だから、意外と簡単に読めるんじゃないか」という下心もあって読み始めてみたのだが、これがすこぶる面白い。まず、あの「考える葦~」以外にもパンチラインが満載なのである。たとえば以下のようなものだ。
私たちは、目の前に何か目隠しを置いて、断崖が見えないようにしてから、平気でそこに駆け込んでいく
若すぎるとよい判断ができない。年を取り過ぎても同様だ。
「なんて見事なできばえだこと。なんて腕の立つ職人さんだろう。勇敢な兵隊さんだこと。」こんな言葉が、我々の志望と職業選択の出発点にある。「見事な飲みっぷりだこと。控えめな飲み方だこと。」こんなことで、節酒家になったり、酔っぱらいになったり、兵隊になったり、臆病者になったりする。
パスカルの言葉は物事の本質を突いているだけでなく、ユーモアもある。今の時代に生きていたらアルファツイッタラーになれそうな雰囲気だ。そして人間の「むなしさ」「みじめさ」に目を向けている点も『パンセ』の特徴である。
通りすがりの町、そこでわざわざ評判を気にかけることはない。しかしほんの一時でも滞在することになれば、気にかける。だが一時といっても、どれほどの時間が必要なのか。私たちのむなしくはかない人生に相応する時間だ。
王たちの境涯が幸福である最大の理由は、人々がひっきりなしに彼の気をそらせ、あらゆる種類の快楽を彼らに得させようとしているからだ。
ただ、パスカルはそのむなしさ、みじめさの先に「神」「宗教」という救いも見出している。「考える葦~」の印象から『パンセ』を箴言集と思っている人もいるだろうが、本書の主題はキリスト教の必要性を説くことにあるのだ。
おのれのみじめさを知らずに神を知るのは傲慢の本(もと)だ。
聖書には秩序がないという反論に対して。
なおパスカルは「パスカルの定理」などの発見者であり、圧力の単位「(ヘクト)パスカル」にもその名の残る数学の天才だ。訳者の塩川徹也氏が解説に記した言葉を借りれば、本書は数学の天才であるパスカルが、理性や哲学の限界を明らかにしたうえで、「それを信仰への道程の中に位置づける」試みなのだ。
キリスト教の本……と聞くと縁遠く感じられるかもしれないが、「論理や理性では割り切れないものが人間にはある」という彼の思考の核の部分には、多くの人が共感できるはずだ。なお『パンセ』のキリスト教にまつわる文章には難解なものも多いが、本書ではそれぞれの断章の直後に丁寧な訳注が入っているので、特に事前知識がなくても読み通すことができる。
この岩波文庫版の新訳『パンセ』は、パスカルの死後まもなく作成された写本を元に文章を構成しているのも特徴だ。ここで紹介した上巻は、写本によって伝えられる断章のうち、目次にそって配列されたもの(断章1~382)を収録したもの。中巻には、断章のうち目次にそって配列されていないものが(断章383~918)、そして下巻には写本に収録されていない断章がそれぞれ収録される。また個々の断章のおもしろさを超えた彼の思想の角の部分は、やはり通読する中でしか捉えることができないので、気になった人はまず上巻から読んでみてほしい。
文=古澤誠一郎