集団的自衛権「必ず犠牲者」=「戦後唯一の戦死者」遺族―朝鮮戦争で機雷除去に従事 | ニコニコニュース

 朝鮮戦争中の1950年、米軍の指令により朝鮮半島近海へ派遣され機雷掃海作業に従事中、船が触雷して沈没し死亡した海上保安庁職員がいる。大阪市の中谷坂太郎さん=当時(21)=。「戦後唯一の戦死者」とも呼ばれる。「弟は集団的自衛権と全く同じ構図の中で戦死した」。兄の藤市さん(88)は、成立した安全保障関連法について「明らかに憲法違反」と訴え、他国の後方支援や機雷掃海に自衛隊を派遣すれば「必ず戦死者を出し、遺族を生むことになる」と警鐘を鳴らす。

 「日本特別掃海隊」の一員として朝鮮半島の元山港付近に派遣された坂太郎さんは50年10月17日、乗り組んでいた掃海艇「MS14号」が触雷、爆発沈没し死亡した。戦争放棄をうたった現憲法施行のわずか3年後。海外の危険地域でひそかに行っていた機雷除去での死者が公になれば、国際問題になりかねなかった。「これが公になれば大変なことになる」。自宅を訪れた米軍将校と海保職員に口止めされた。「瀬戸内海で殉職したことにしてほしい」

 藤市さんは父親から「どんな目に遭わされるか分からない。口外してはいかん」ときつく言われた。当時の海保長官が78年に特別掃海隊の詳細を手記で公表するまで、坂太郎さんは国内で死亡したことにされた。

 「弟は国の命令で砲弾飛び交う海上へ派遣されたのだから、殉職でなく戦死だ」。藤市さんは2度にわたって靖国神社に合祀(ごうし)を申請したが、「対象は太平洋戦争まで」と拒まれ、戦没者としての慰霊は棚上げにされたままだ。

 藤市さんは、集団的自衛権行使容認で、今後自衛隊にも弟と同じような「国にとって不都合な戦死者」が出ると危惧する。「安全が確保された場所で後方支援をする」との政府説明も納得できない。旧満州で内戦に巻き込まれ、戦死した中国人兵士を何人も埋葬した経験から、後方部隊の危険性を身に染みて知っているからだ。

 「私たちは65年間、遺族としてずっとつらい思いをしてきた。戦闘地帯に人を送れば負傷者や死者が出るのは当然で、私たちと同じように苦しむ遺族を生むことになる」と訴える。「政府がどんなに言い訳しようとも、安保関連法は明らかに憲法違反。今後、最高裁で違憲性を争うべきだ」と繰り返した。