少女隊、セイントフォー、スターボー……消えたアイドルグループのその後? | ニコニコニュース

1980年代のアイドル戦国時代。芸能各社が社運を賭けてデビューさせてきたものの、次々に消えて行ったユニットたちがいた。海外に移住したセレブもいれば、復帰に向けて努力を重ね続けるものもいる。
今、キミたちはどこに……? 彼女たちの足跡を追ってみた。

■少女隊


岡田奈々、大場久美子、松本伊代らが在籍していたボンド企画がオーディションでミホ、レイコ、チーコの3人を発掘し、総額3億円のプロモーション費用をかけて1983年にデビューさせたが、ブレイクには至らず。結局89年に解散し、その数年後にボンド企画も倒産。3人は芸能界を事実上引退し、それぞれ結婚して子供をもうけた。99年に「1999少女隊」として再結成したが、その後の活動はない。

■セイントフォー


演歌歌手の橋幸夫がプロデュースし、少女隊同様、巨額の宣伝費を投入して結成されたが、所属事務所とレコード会社の契約上のトラブルによりデビューからわずか2年2か月で解散した。メンバーはそれぞれその後、別ユニットを再結成したり、ヌード写真集を発表したりと様々な活動を展開したが、誰もがパッとせず。2013年に結婚して引退した板谷祐三子をのぞく、濱田のり子、鈴木幸恵、岩間さおりの3人で26年ぶりのライブを行った。

■ribbon


1989年にフジテレビのテレビ番組『パラダイスGoGo!!』内の乙女塾から誕生したアイドルグループ。メンバーは永作博美、松野有里巳、佐藤愛子の3人だったが93~94年頃に曖昧に解散。現在、松野はエアロビクスのインストラクターになり、佐藤は主婦。永作だけが女優になった。

■わらべ


1982年に萩本欽一の番組『欽ちゃんのどこまでやるの!?』から誕生した企画ユニット。だが、83年に高部知子が不祥事により脱退。以後は残った二人で活動を続けていたが、翌84年に活動停止。現在、高部知子は芸能界を離れて精神保険福祉士としてカウンセリング活動を行い、倉沢淳美はオーストラリア人と結婚してドバイでセレブ生活。高橋真美はテレビ番組のレポーターなどをやっている。

■スターボー


1982年に細野晴臣楽曲提供によるテクノ歌謡『ハートブレイク太陽族』でデビュー。現在のPerfumeの先駆け的存在だったが、2曲目以降はあっさりコズミック路線を捨てたため、さらにわけがわからなくなって活動2年で解散。センターのIMATOは、地元の長崎に帰ってスナックを経営中。

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1970年代にピンクレディー(2人組ユニット)、キャンディーズ(3人組ユニット)という社会現象にまでなったモンスターアイドルの成功例から、芸能各社は80年代になると「夢を再び!」とばかりに、さまざまな複数人数の企画ユニットを誕生させていった。

その次なる大成功事例は98年のモーニング娘。まで待たねばならないが、すなわち80~90年代に生まれた彼女たちは、そのほとんどが泡沫グループ……時代のあだ花として消えていったのである。

そのユニットコンセプトは時流に合わせたテクノ風であったり、王道のぶりっ子路線であったりと様々であったが、いずれも活動期間は長くても数年、早ければ1年で解散という悲惨な結末。だがこの苦難の歴史をなくして、現在のAKB48に連なるアイドルシーンもまた生まれていなかったのである。それにしても、不幸なのはグループのメンバーたち。人生の思い出作りにはなっただろうが、清純派からヌードになるまで芸能界にしがみついた者も少なくなく、80年代はまた、多くの少女たちの人生を狂わせた時代でもあった。

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