フェイスブックに新しい機能がつくかもしれないというニュースがあった。
「米フェイスブック、「よくないね」も表示 CEO表明 」(日本経済新聞2015/9/16 )
《米フェイスブックのマーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)は15日、悲しい出来事や残念な出来事がサイトに投稿された際に共感を示す手段として、「よくないね」という気持ちを表す新機能を近く導入する方針を明らかにした。》
「よくないね」ボタンは疑似アメリカ人への道を試されるつまり、ここでいう「よくないね」とは相手の投稿を批判するのではなく、悲しい内容(例:ペットが死んだとか)に対しての「共感を示す手段」だという。私は以前から思うのだが、日本人にとってフェイスブックとは「疑似アメリカ人」としてふるまえるかどうかを試されている気がしてならない。友人や家族と集い、語らい、美味しいものを食べ、人生を謳歌する様子を、果たしてお前は日本人のくせに躊躇なく他人に披露することができるのか? という問い。
そんな人たちがいたとして、自分はちゃんと付き合えているだろうかという問題もある。投稿を生温かく見守るだけで「いいね」だけを連発していないだろうか。それではフェイスブックは町内の回覧板と同じだ。日本的な風景に逆もどりである。疑似アメリカ人どころではない。
「よくないね」ボタンはさらなる疑似アメリカ人への道を試される実験だと思う。友だちの悲しい話題に首をすくめながら「よくないね」と大仰に言えるかというハードルである。もし「よくないね」ボタンが相手の投稿を批判する意味も持った場合、自分と違う意見に平気で押せるか? そのあと議論をたたかわせて最後には握手をしてニッコリと別れることができるのか。疑似アメリカ人への道はきわめて険しい。
ハッキリと意思表示をしないことが得意な日本人のフェイスブックには「よくないね」よりも、よっぽどふさわしいボタンがあるような気がする。たとえば代表的な日本の事なかれ言説に「誠に遺憾である」というのがある。誠に遺憾であるボタンがあったら日本人のフェイスブックに合うはずだ。多くのおじさんが押しやすいと思う。
「いかがなものか」ボタンもいい。それとなく反意を伝えられる。「粛々と」 もアリだ。とりあえずなんにでも使いまわせそう。めんどくさい人にコメントされたときは「担当者が不在のためコメントできない 」ボタンもいいかもしれない。
日本人のためのフェイスブック用語。日本人の必殺技「言語明瞭、意味不明瞭」に対応できるよう、ザッカーバーグ氏には配慮してもらいたい。
著者プロフィールお笑い芸人(オフィス北野所属)
プチ鹿島
時事ネタと見立てを得意とするお笑い芸人。「東京ポッド許可局」、「荒川強啓ディ・キャッチ!」(ともにTBSラジオ)、「キックス」(YBSラジオ)、「午後まり」(NHKラジオ第一)出演中。近著に「教養としてのプロレス」(双葉新書)。