「自分の命は自分で守る。その意識があれば、やるべきことは見えてくる」。58人が死亡し、戦後最悪の火山災害となった御嶽山の噴火から間もなく1年となる。頂上付近で噴火に遭い、命からがら下山した長野県飯島町の山岳ガイド小川さゆりさん(44)は「安全が約束されていない場所に自らの意思で踏み込むという意識を持って、準備をしっかりしてほしい」と訴える。
小川さんは30歳でガイドの資格を取得。ガイドと一緒に山に入った友人が雪崩に巻き込まれて亡くなり、「お客さんを死なせないガイドになりたい」と思い立ったという。中央アルプスを中心に活動。これまで10回ほど登ったことがある御嶽山に昨年、ガイドの下見のため10年ぶりに登り、火口から約350メートルの地点で噴火に巻き込まれた。
「ドカーンというすごく大きな爆発音がし、火口はかなり近くだと思った」と振り返る。「頭を守らなければ」。降り注ぐ噴石をよけるため、とっさの判断で身を隠せる岩を探した。「絶対に生きて帰る」との思いを胸に下山する途中、足をけがした様子で泣き叫ぶ女性に会った。犠牲になった山梨県甲斐市の猪岡洋海さん=当時(42)=で、小川さんは洋海さんを強く抱きしめ、「もう大丈夫、噴火は終わる」と声を掛けたという。
「当時の状況と、どうやって生きて帰ってきたかを知ってもらいたい」と、噴火の1カ月後に手記をまとめ、山仲間に配った。その中で「あの日の光景が今も頭から離れない。それでも私は山を嫌いになれない」とつづった。
洋海さんと同行していた夫哲也さん=同(45)=の遺体は、小川さんの目撃情報などもあり今夏の再捜索で見つかった。以前から捜索場所のアドバイスなどで連絡を取り合っていた哲也さんの兄から知らせが入り、一安心したという。
手記では「自己責任と危機意識」の重要性を繰り返し説く。小川さんは「近くに隠れる場所があったかなど運もあるが、それ以外で生死を分けたものがあるとすれば、命を守る行動にすぐに移れたかどうか」と強調する。
「避難用シェルターがあっても登山者に意識がなければ入れない」と指摘。「危機意識を言葉で伝えるのは難しいが、それでも伝え続けていきたい」と力を込めた。