2015年9月19日未明、安保法案が参院本会議にて採決され、良くも悪くも日本の安全保障体制は大きく転換されることとなった。ところで当日、「山本太郎と仲間たち」の山本太郎代表が「今日という日は自民党が死んだ日だ」と言ったそうだが、実は筆者は、死んだのは自民でも公明でもなく、野党第一党の民主党の方だと考えている。いい機会なので、簡単に説明しておこう。
近年、選挙の趨勢を決定づけるのは都市部無党派層の動向だと言われている。農協や漁協に加入せず、特定のイデオロギーも持たず、都市で勤め人として働く現役世代の面々をイメージしてもらいたい。恐らく読者の9割はそういう人ではないだろうか(もちろん筆者もその一人)。
彼らは戦後日本を支えてきた中央から地方へのバラマキや、農協などの1次産業の持つ既得権、高齢者偏重の社会保障といったものに根強い不満を抱えていて、そうしたものに積極的にメスを入れようとする構造改革を強く支持する傾向がある。
「構造改革の推進」を旗印に掲げた小泉政権は、そうした都市部無党派層を取り込むことで5年にわたる長期安定政権を確立した。無党派層という名の『勝利の女神』を味方にしたわけだ。「自民党をぶっ壊す」が氏のキャッチフレーズだったが、もともと自民の伝統的支持基盤である1次産業就業者は長期減少傾向にあり、既に壊れていた自民党に新たな支持基盤を取り込んだと言うべきだろう。
ただ、小泉さんの後継者たちは、その構図があまり分かってはいなかったようだ。安倍さんも総理1期目は御多分に漏れず、郵政民営化反対派の復党を許し、無党派層の支持を大きく失っている。きわめつけは麻生総理(当時、現蔵相)の「自分は郵政民営化に賛成じゃなかった」発言で、これで無党派層は完全に自民党に見切りをつけることとなった(*メモ1)。
当然だろう。彼ら無党派層は別にイデオロギーなんてものとは無縁であり、その都度、自らのスタンスに最も近い政党を支持するだけの話だから。
そうして、次に女神の祝福を受けることとなったのは、野党第一党である民主党だった。もう忘れている人も多いと思うが、もともと民主党というのは都市部の無党派層を意識して結成された政党であり、郵政民営化を含む構造改革の必要性を明言する政党だった。麻生自民が守旧的である以上はこちらに票が集まるのは当然だ。
しかし、民主党もまた軸足が定まらずに漂流することになる。鳩山、菅という「よりによって一番構造改革の重要性を分かってなさそうなトップ」が2代続いたことでガタガタになり、暇になってから一生懸命勉強してなんとなく改革の必要性が分かり始めていた安倍さんにリターンマッチで完敗。わずか3年で日本を取り戻されることとなった。
とはいえ、現在の安倍さんも盤石かと言えばそうでもない。医療や労働市場の規制緩和といった構造改革は、既得権をひっぱがす作業であり、敵も多いし色々とめんどくさい。最初の頃は「解雇規制を緩和して労働市場を流動化します」なんて歴代総理で初めて明言するなどアクセル全開だった安倍さんも、途中から明らかに飽きてきたように筆者には見える。そこで、もともとやりたかった「安保」に熱を上げ始めたのだろう。
筆者は、このタイミングこそ、民主党が再生する最後の、そして最大のチャンスだったように思う。「総理、今そんなことやってる場合ですか。アベノミクスはどうなんですか。上手くいっているとは言い難いでしょ。それは『第三の矢』である規制緩和を、あなたがサボって全然やってないからです!」と言って、与党はもちろん国会前で騒いでいる万年野党とも一線を画していれば、政権交代可能な受け皿として俄然注目されたはずだ。
でも、彼らはそうはしなかった。かわりに国会前に繰り出してバカ騒ぎをする輪の中に加わってしまった。それも何を勘違いしたのか、カメラの前の方で一番目立つようにバカをやってしまった。その場に居合わせた『市民』にはウケただろうが、その何十倍もいるであろう「民主が最も大事にしなければならないはずの無党派層」は、これで完全にソッポを向くことに決めたはずだ。
恐らく今回の国会ドタバタ騒動に対して、安倍さんは深く深く感謝しているに違いない。結果的に、野党第一党が自ら「政権担当能力がありません」ということを身をもって証明し、ライバルの座から滑り落ちてくれたからだ。
だが、最大の勝者は共産党だろう。共産党の支持層は無党派層の真逆であり、政権担当能力が無いことを誇り、万年野党であることを愛でる不思議な人たちだ。そうした支持層をいたく満足させつつ、民主党というライバルを万年野党界デビューさせることにも成功したのだから。
筆者は、早ければ来(2016)年の参院選に前後する形で、民主党という政党は消滅することになると予想している。選挙が近づいても選挙区でまったく手ごたえが無いことに気づいた民主党議員が焦り、生き残りを模索する中で野党再編の流れを促すことになるためだ。その時までもうしばらく『民主』という名前は耳にするだろうが、2015年の9月19日こそ同党の命日としては相応しいということを最後に述べておきたい。(城繁幸)
【*メモ1】このあたりの調査資料は、『世論の曲解 なぜ自民党は大敗したのか』(菅原琢)に詳細にまとめられており、興味のある読者には一読をおススメする。