ホビー業界トップ企業のリーダーは、故郷の秋田で教師になるはずだった。1年限定のつもりで入社し、「ガンプラ」の営業担当になったが、上司は「実力不足」を理由に外回りをさせなかった。「認められたい」の一念で奮起。以後、子供服や化粧品など多くの新規事業に関わった。多くの失敗も経験。石川祝男現会長からの社長打診は「まったく想定していなかった」という。
【田口】最初の配属先だった模型事業部の上司から「常に最悪の事態を想定して仕事をしろ」と叩き込まれた。そのおかげかもしれない。1986年に立ち上げた「トンカワールド」という子供服ブランドでは、6年で累積6億円の赤字を出し、撤退した。お客様の声を拾いすぎて、オリジナリティを出せなくなってしまった。お客様の意見に100%流されるようだと、事業の壁は突破できない。お客様の思いの少し先を満たすことが、我々の仕事だと思う。
【田口】成功体験は、むしろ邪魔になることが多い。とくに自分流の体験を部下に当てはめるのは非常にナンセンスだ。多少の口は出すが、失敗にせよ成功にせよ、部下がどれだけその仕事に執着できるかどうかは、上司の姿勢如何だ。とにかくバットを振らせる。チャレンジの場を与えることが必要だ。
【田口】それぞれの企業文化を軽んじたところがあったと反省している。バンダイ側はキャラクターの旬を逃さず多方面にすばやく展開する。一方、ナムコ側は遊びを根本から考えていいものをじっくり作り込む。この2つの企業文化を融合させるのに10年がかかった。互いのやり方に触発され、ようやく統合効果が出てきた。キャラクターやターゲットによって、それぞれのやり方の比重を変えていければと思う。
【田口】目標は着実に達成したい。この業界は変化が早い。最高顧問の中村雅哉は「体力のあるものでも賢いものでもなく、変化に対応できるものだけが生き残れる」という。我々には強固な基盤はない。次の打ち手を常に考える必要がある。
当社には「ガンダム」や「鉄拳」に憧れて入社したという社員が多い。これは長期にわたりキャラクターをイノベーションさせてきた成果だ。「妖怪ウォッチ」や「ドラゴンボール」など他社からお預かりしているキャラクターも含めて、幅広い事業ドメインで新しい商品を開発したい。
【田口】日本のキャラクターはアジアでの人気が高い。アジア地域で300億円の売上高を3年後に600億円に伸ばす計画だ。他社とも連携しオールジャパンで展開したい。
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バンダイナムコホールディングス社長 田口三昭出身高校:秋田県立角館高校
長く在籍した部門:新規事業
座右の書(または最近読んだ本):新田次郎『孤高の人』
座右の銘:自分らしく
趣味:ゴルフ、野球、登山、小型船舶
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