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16世紀の知識人が入手できた情報の量は今よりはるかに少ない

ちなみにヨハネス・グーテンベルクが活版印刷を発明したのは1455年頃と言われている。

 イギリスの歴史学者ピーター・バークの「知識の社会史:知と情報はいかにして商品化したか」によれば、

「エセー」の著者モンテーニュ(1533~1592)の蔵書は約300冊、「法の精神」の著者モンテスキュー(1689~1755)の蔵書は約3000冊だったと記されている。

 もちろん同じフランス人とはいえ、モンテーニュとモンテスキューではその専門領域も違いえば、

読書に対するスタンスも違うだろうから、一概に単純な比較はできない。だが、おおよそ、同じ国に住む知識人の

入手し得た活字情報が約150年の間でどれくらい膨張したのか、ひとつの目安にはなるだろう。

  この増加はとりもなおさず印刷技術の発達、製造コストの低価格化、交通網/物流網の整備などによるものだが、

いずれにしても16~18世紀においては、後世に名を残すほどの偉人でさえ、生涯で接触できた

テキストデータの総量はせいぜいこの程度である。19世紀になると各国で新聞という新しいテキストメディアが登場するものの

現在のように一般庶民がくまなく新聞を購読できるようになるまでにはその後もまだまだ時間がかかっている。

そしていま、われわれの周囲には多種多様な紙の新聞や雑誌、書籍が満ち溢れているだけでなく、

日々膨大なテキストが誰かによって書かれ、そして読まれる、インターネットというテキストの横溢空間が存在する。

 まさにエーコが述べているようにインターネットそのものがすでに“グーテンベルクの銀河系”であり、広大無辺な電子書籍なのだ。

 インターネットの特性というと、われわれはついつい、そのインタラクティブ性やマルチメディア性ばかりをあげつらいがちで、

実はほとんどの情報がテキストであることを忘れてしまっているのではないか。

 マーシャル・マクルーハンが「メディア論」の中で、アテネに学校を作ろうとしていたプラトンと、

アテネという町自体の関係についてこんな表現を用いているのは言い得て妙である。

 “プラトンは、理想的な訓練学校を考えようと努力したにもかかわらず、アテネの町こそ夢に描いたいかなる

大学よりも偉大な学校であることに気づかなかった。言い換えれば、最大の学校は、それが考え出される前に、

すでに利用できるように差し出されていたのであった。ところで、このことは、

とりわけわがメディアについて言えることである。考察の対象になるはるか以前に、提出されている。”

 これはまさに今回考察した電子書籍とインターネットとの関係に置き換えられるのではないか? 

いわゆる電子書籍が市場に投入される以前から、インターネット自体が最大の電子書籍だった。

 紙の書物になっていない情報の途方もない蓄積がすでに存在しているわけだから、

紙の書物をデジタルしただけの電子書籍にとりたてて新鮮味を感じない理由はそのあたりにある。

 紙の書物として出版されているものを、あえてデジタルバージョンで読む理由は、

それが紙バージョンとは比べものにならないほど安価か(場合によっては無料)、紙バージョンがすでに絶版状態で入手困難になっているか、

紙バージョンが分厚すぎる、もしくは巻数が多すぎる……くらいしかないだろう。

 結果として、2000年の歴史を持つ紙の書物は今後もしぶとく命脈を保っていく。