1914(大正3)年の開業時の姿が復活した東京駅。駅舎に入る東京ステーションホテルも6年半の休業を経て、2012年10月3日に再開業した。その再開に向けて陣頭指揮をとったのが森本航さん。就任時の挨拶がふるっている。
「開業準備は大変ですが、心配しないでください。私が来たからにはもう大丈夫です」
あえて自分を追い込んだのだが、こう言える経験も積んできた。21年前にJR東日本に入社後は、駅の改札係から旅行代理店まで場数を踏み、ホテルも浦安や長野、池袋での経験が豊富。そこで培ったのは相手と対話する際の「人間力」だ。状況に応じて「熱意・創意・誠意を示し、そのバランスが大切」だと語る。
毎日たくさんのお客が行きかい、多様な業種とも取引するホテルは、大小のクレームやトラブルが多い。森本さんも以前いたホテルメトロポリタン池袋時代は、都内屈指の繁華街の客室数800を抱える環境で鍛えられたという。たとえば「お客様のバッグに誤って水をかけてしまった場合、どう対応すればご納得いただけるかといった場数を踏みました」。
いつも心がけるのは「絶対に第一次対応者を叱らないこと」。叱ってしまうと相手が萎縮し、持っている情報が入ってこなくなるからだ。そうではなく「一緒にやろう」と声をかける。そこで出てくる情報の中に解決のヒントが多い。
「バッグの例でも、先方は弁償してほしいのか、もっときちんと謝ってほしいのかは、精査するうちにわかってくるものです」
東京ステーションホテルの利用客の大半は日本人で、なかには90歳を超えるお客もいる。トラブルは少ないというが、それでも失敗はある。相手は取引先だった。
開業前の準備室時代、激しい怒りの電話を受けた。「長年、一緒に仕事をしてきて、休業前は『また、ぜひお願いします』と言いながら何の挨拶もない。失礼じゃないか!」。半世紀以上にわたり取引があった企業の経営者だった。
森本さんに回ってくるのは、現場レベルで対応した後の「責任者を出せ」という段階だ。まず電話のたらい回しを素直に詫びた後で、相手の言い分に耳を傾ける。話を聞き「今さら契約業者になりたいわけではない」こともわかった。後日の面談を決めて受話器を置く。
その後、当時の関係者に話を聞き、休業前の状況も把握しておいた。当日、面会した森本さんは、まず先方を東京駅が見渡せるビルの5階に案内する。再開に向けて準備が進む現状をまず説明した。すると相手の心も解きほぐされ、実際の面談ではホテルの昔話に終始。和らいだ雰囲気で話が終わったという。熱意・創意・誠意を駆使した結果である。
「こういう場合、いきなり本筋から入るとうまくいきません。先方の気持ちを汲むためにも、違うアプローチが必要だと考えたのです」。この経験で森本さんは、企業関係者でさえこれほど思い入れをもつ、老舗ホテルの存在の重みを改めて感じたという。
松本清張ら作家の定宿だったことでも知られる同ホテルには、戦前から利用していた顧客もいれば、憧れて利用する若い客もいる。それぞれのお客に対する「場の空気」をどうつくり、心地よく利用していただくか。森本さんは行動力で部下に伝えている。