あの国民的バラエティ番組のスピリットを引き継ぎ“友達の輪”を!とスタートした『語っていいとも!』。
第11回のゲスト・さとう宗幸さんからご紹介いただいたのは、声優の山寺宏一さん。
“仙台の顔”といえる宗幸さんから大学の先輩後輩でもあるローカルな繋がりで、モノマネに司会、役者etc.と大活躍する声優界の第一人者へバトンが繋がり…。
なんと超多忙な中、2時間にわたって、語り尽くしていただいたーー。(聞き手/週プレNEWS編集長・貝山弘一)
―同じ宮城県出身というご縁もあって、さとう宗幸さんからご紹介を。「山ちゃん!これからも全国に、世界へ夢のある虹を架けようね」とのメッセージをいただいてます。山寺さんは塩釜の生まれで、大学まで仙台なんですよね?
山寺 僕、学院大(東北学院大学)ですから。そのまま宗さんの後輩になるんですよね。編集長も仙台なんですよね。何年生まれですか?
―僕は66年生まれなんで、ちょっと年下ですけど。
山寺 そんなに違わないですよね、僕も60年代生まれ(61年)ですから。
―大学受験の浪人の時、85年から東京なんで、ちょうどデビューされた頃ですかね。
山寺 はい、たぶんアニメのデビューがそう、85年くらいだ。
―正直、言い方があれなんですけど、いつの間にかすごく知られた存在になられて。いつから山寺さんを意識したのかなっていう印象で…。
山寺 いやいやいや、全然、声優ですからね。基本的には地味なもんですよ。
―働き始めると、あんまりTVを観なくなるというか、夜型の不規則な生活なのもあって(苦笑)。尚更、子供ものは観ないじゃないですか、ずっと司会されてる「おはスタ」もなかなか…。
山寺 普通観ないですよ。逆に朝まで起きてることはあってもね(笑)。
―97年から、そのメイン司会を務められて。もう19年目ということで。いつの間にかいろいろお見かけするようになって不思議な感じではあったんです。
山寺 やっぱり一番のきっかけは「おはスタ」だと思いますけど…毎日ね。で、子供番組じゃないですか、逆にその出方が一部のサブカルの人達に「なんか変なヤツいるぞ」みたいな。「ブロス探偵団」(TV Bros.の名物コラム))に載ったりね、しめしめって思って。
声優ではそこそこ知られてる存在になってきてたけど、そんな感じでちょっとTV出てるヤツみたいにいくんだろうなって思ったら、三谷(幸喜)さんのドラマに1本出させてもらって。「やべえ俺、ブレイクしちゃうかな」って…。三谷さんのドラマからブレイクする人多いんですよね、大抵小劇場の人なんですけど。
で、イイ役もらったのにブレイクしなかった数少ないひとりなんですよ(笑)。いまだに中途半端な存在だなって思いますけどね。
―ええっ、そうなんですか?
山寺 うん、中途半端。芸能人ってほどでもない、なんか微妙なあれですよ。声優の世界にいくと、いろんな作品やってるし、そこそこキャリアもあるし知られた感じになるんだけど。バラエティとかいくとシュンとしちゃうし、ドラマとかたまにいってもアウェイ感というか。
声優の世界戻っても…ていうか、ずっといるんですけど(笑)、若手の人気のほうが今、ものすごいですから。押上げがすごくて、声優人気ランキングとかって、ガチでアニメファンでやると50位にも入らないというね。まあいろんなことをやらしてもらってありがたいんですけど。
―いや、でも声優界では今や第一人者じゃないですか。逆にそういう謙虚さが山寺さんの好感度っていうか…。
山寺 いや、別に好感度上げるためにわざわざ謙虚なわけじゃないんですけど(笑)。元々、気が小ちゃいんで…いや、やっぱり謙虚にならざるを得ない経験をいろいろさせてもらってるからだと思います。ちょっと調子こいてたらね、アニメファンとか声優ファンがいないところにポッといくと、何者でもない自分に気づいたりするし。
ほんと、バラエティいっても恥をかいたり落ち込んだりすることが多くて。ドラマでもなんにもできなかったって、オンエアー観て、うわーって思ったり…。モノマネは少しね、評価していただくようになって。でも逆にありがたいなって思うことは、そういう痛い目に遭うことで、また声優の仕事が客観的に見れたり、すごい新鮮ですよね。
―編集部の20代半ば過ぎのスタッフなんか、次のゲストはどなたですか?って聞いてきたんで、山寺さんだと言ったら「ええ!? 今までのゲストの中で俺、一番キテますわー」って(笑)。あらためてスゴい存在だなと思い知りましたが。
山寺 本当ですか(笑)。それはたぶん「おはスタ」を観てたね。始まってまだすぐ、2年とか3年とか視聴率がよかった頃のコですよ。その当時の小学生の観てる率っていうのは半分以上、相当高くてね。慎吾(香取慎吾)くんが“おっはー”を真似してくれたあたり。
―ですよね。慎吾ママのキャラで曲も大ヒットしましたが。元々、山寺さんが子供に呼びかけてた日常語だという…。
山寺 このままいったらフジと日テレ以外は抜くんじゃ?って雰囲気もあったくらいでしたから。今は裏でネットとかスマホとか、もう子供でもTVをそんなに観なくなってる世代ってことでね、言い訳してるんですけど(笑)。
だから、ずっとやってるんですけど、よくそういう20代の人から「あの山ちゃんですよね、僕、おはスタ世代なんです」とか言われて。世代って、今もやってるのにどういう意味?ってね(笑)。ピークだった時期の子供ですってことなのか…いや、よくわかるんですけどね、言ってること、実は(笑)。
―そういう意味では、これからその子供達がちょうどイイ大人になって、認知してもらってるという…オイシい感じになるのでは?(笑)
山寺 そうなんですよ。ディレクターとかね、早く使う側になってほしいっていう(笑)。それと、いつか「おはスタ」ショップやろうよって。グッズを集めといて、その頃の大人になった人たちに大人買いしてもらおうとか冗談で昔よく言ってました、レイモンド(・ジョンソン)と。
でもほんと「おはスタ」が大きな自分の転機ですよね。よく抜擢してくれた、ほんと大抜擢ですよ、無謀過ぎますよね。まあ、そんな朝の帯番組を子供相手にやるって人、他にいなかったのかもしれないですけど(笑)。
―その前にもちろん声優としてはね、これだけ洋画の吹き替えをやられていて。あらためてラインアップを見るとスゴすぎじゃないですか。ブラピ(ブラッド・ピット)からウィル・スミス、ジム・キャリーにエディ・マーフィーまで…。
山寺 ありがとうございます。
―ただ、それもはっきり言って、そこまでとは存じないまま…。洋画がどんどんTVの地上波で、いい時間帯から消えていった時代ですよね。昔は当たり前に各局ゴールデンに放映して。淀川(長治)さんとか水野(晴郎)さんの解説で観てましたが。
山寺 もうないですからね。僕もピークの頃はね、主役クラスをやるみたいなのがあって、月に何本もオンエアーされてってありましたね。その数が減ると共に、今やDVDとかもあんまり回ってこなくなっちゃって。本当に激減してますね…30代が一番やってたかな。
―ですから、ここまでいろんな方をやられてると気づかないまま…ウィキペディアで見ると、行がもうずっと下まで長過ぎて(笑)。
山寺 いや、声優は長いんですよ(笑)。僕も仲間のを調べたりしますけど、キャリアそこそこやってる人はね。
―それにしても、こんなにエンドレスで下にスクロールするか!っていう(笑)。日本で一番長いのは山寺さんじゃないかって思うくらい。
山寺 いやいや、そんなことはないです。でも誰か測ってほしいですよね(笑)。よくそれは言っていただくんですけど。まあ声優は仕事が細かいっていったらあれですが、数でね、こなしていかないとやっていけないんで。
僕もちょうど今年30年なんで。もう40、50年やって何千本っていう先輩に比べたら、声の仕事だけではあれかもしれないし、数があればいいってもんじゃないけど。僕の場合、そうやってバラエティのほうもちょこちょこやらせていただいてるおかげで、そんなのが増えてね。
―いやあ、数っていうのは、それはやはり認められるべきかと。
山寺 自分でも、ああ、自信なくなったって時に、頑張って一応こんだけやってきてんだからっていう、それなりの何かバロメーターにはなりますよね、数やってたら。お仕事はいただかなきゃできないので、それだけ振ってくださったんだから。
―しかし、そもそも大学まで地元で、役者には興味があったってウィキにはあるんですけど(笑)、子供の頃からモノマネとかも?
山寺 モノマネは好きでしたね。バラエティも大好きだし。もちろん僕らの子供の頃は「全員集合(『8時だョ! 全員集合』)」があって、ちょっと大きくなった時には「ひょうきん族(『オレたちひょうきん族』)」があってっていう。みんなが同じものを観てた世代ですから、TVがとにかく大好き、TVっ子でしたもん。
だからって、マニアっていうほど記憶があるわけでもないんですけど。バラエティには出たいっていうか、何よりもモノマネ番組、玉置宏さんが司会をやってた番組(『象印スターものまね大合戦』)が大好きで。中学、高校の時は学校で先生とか友達のモノマネとかもスゴいしてたんでね。モノマネタレントになりたいって本当に思ってたんです。今も「ものまねグランプリ」に出てるのは、ひとつ夢が叶ったなって。遠回りはしたけども。
―じゃあ、その頃からずっとお上手で。そこで有頂天になって「俺にはこれしかねえ!」とか、すぐ東京に上京して…となりがちな気もしますが。
山寺 全然そんなのはなかったですね。子供の頃、内弁慶で人前に出るのも得意じゃなかった。たまに勇気を持ってやれてたのは、小学校3、4年生くらいですかね。中学の時は思春期、女のコとひと言も話をしない、高校2年まで話してないですから。女のコとかいたら、もうできないんですよ。
―それだけシャイだった? でも失礼な話ですけども、僕の中の塩釜の人間はそういうイメージですよ(笑)。
山寺 多いかもしれないですね(笑)。何、意識してるんだって話ですけど。まあ、東北の人間っていうのは基本的にはね。僕なんか、その最たるものですから。高3の時に文化祭みたいな催し物があった時にやったのが初めてで。あとはもっぱらバスケ部の仲間の前だけでモノマネを披露するという日々でしたね。
だからそんなプロになれると思ってなかったし。でも学生の時に落語研究会に入ったのが一番大きいですね。お客さんの前で芸を披露して、4年間でいろいろね。ほとんど大学の勉強はした記憶がないけど(笑)。でも毎日ほぼ学校には行って。おかげで表現すること、演じることの楽しさを知って、そんな芝居を見たこともないのに俳優養成所に入ることになったんですよ。
―まずは俳優の道なんですよね。今なら最初から声優を目指すっていうのも普通で。もういろんな声優さんがいて、華やかな憧れみたいなものもありますけど。
山寺 そうですね。何回か声優ブームみたいなのはきたらしいですけど、あんまり僕もわからずに。ただモノマネ好きで、落語が好きだから声の仕事ができたらいいなって。でもいろいろ調べてたら、俳優養成所のほうがツブしがきくし。声優だけってほとんどなかったんですよ、その当時。
―それこそ、声優なんて食えないよって言われてましたよね。
山寺 うん、それに狭い感じがしたんですよね。だから俳優養成所に所属すれば、そこの事務所は俳優さんもいるし、もしかしたら声優もなれるかもしれないし。とりあえずその何か体で教えてくれるところがいいだろうって、素人判断で。でもそれは間違ってなかったなと。そこで学んだおかげで視野が広くなって、舞台にも興味持つようになって。東京に来て、その2年間は濃かったですね。
―手前味噌な話なんですけど、僕も結構声が変わってるって言われまして…。
山寺 イイ声って言われるでしょ、やっぱり。
―声だけはって言われるんですけど(苦笑)。それまで意識しなかったのが、高校ぐらいの時に友達にマネされたりとかして、自分の声が特徴的だってことを自覚させられまして…。
山寺 僕は声に関しては、いろんな声が出せるっていう風にはずっと言われてましたけど。イイ声だって言われたことは一度もないし。自分でも思ったことないし。
―そうなんですか?
山寺 ただ、いろんな声がコントロールできるっていうのは、小さい頃から好きでやってたので、それは特徴としてありましたけどね。イイ声って言われたこと、本当に1回もないです! ずっと個性もないって言われてましたから。
―ホントですか? だいぶ意外ですが…。でも僕は嫌だったんですよ、すぐにマネされたりとか(苦笑)。
山寺 それは個性的だからですよ。
―今だったら褒められた感じになったりもありますが。社会人になって、ある時期、女のコがいる店とかでね、職業隠して、みんなで遊ぶっていうのが内輪で流行りまして。先輩から「こいつは声優なんだよ」って設定にされて、だいぶ困りました。それを最後まで嘘つき通せるかみたいなゲームで(笑)。
山寺 やめてください! そういうところに行って、声優語るのやめてください!(笑)
―失礼しました(笑)。僕も本意ではなかったんですが、ノリで…。
山寺 でもそれは声がイイからですよ。変だっていうよりイイ声っていう印象ですよ。
―今だったらノセられて、そっちの道を目指そうかなんて、その気になってたかもしれませんけど(笑)。
山寺 声がイイってなったら、やっぱりナレーターか声優かって、そう思いますよね。僕も意識すればイイっぽい声を出せるから、ちょっと意識して出すことありますけど。
―その「七色の声を持つ男」って言われるほどの幅広さは模索した結果ですか? それともいろんな役をやってこられた結果?
山寺 本当に子供の時から得意なんですよ。最初にいろんな声が出せて面白いって言われたの小学校3年生、4年生の時かな? 転校していった女子が、元いたクラスのみんなに手紙をくれたんです。誰々くんはこうで楽しかったみたいな、ひとりひとりのことを褒めてくれたんですよ。その中で山寺くんはいろんな声が出せて面白いしっていう手紙を教室に張られたんです。
―それすごくイイ話じゃないですか。しかも女のコに(笑)。
山寺 カワイかったんですよ、そのコ(笑)。他人に言われたの初めてだったんで、俺ってそうなんだ!ってね。高校で彼女とまた一緒になって、今はもう男女を超えた友達にずーっとなってますけど。覚えてないって言ってました、そんなの書いた?って。
―まあ照れ隠しかも知れませんよ(笑)。初めて才能を認めたのが彼女だったと。
山寺 だからね、見てくれも普通だし、運動神経も勉強も何やっても本当に見事に普通、普通、普通…の僕がそこだけアッと思って。よし、じゃあそこを伸ばそうと思ったのか、とにかく自分の声をコントロールするのが好きだったんですよね。自分でできなかったら、教えてくれ、教えてくれつって。負けたくないって、小さい頃から思ってたんで、それは今もずっと一緒ですよ。
―そこだけは俺は…って、こだわりの部分。
山寺 そうです、負けたくないって。でもモノマネタレントになりたいなって思った高校の時に、とんねるずとか柳沢慎吾さんとか全く同い年で、東京で活躍してるのTVで観て、すげぇなぁ、レベル半端じゃねぇと。声だけじゃない、アイディアだなって思って、自分にはないなと。その道は無理かと思ってた時に大学入って、落研に入ったんですよ。何か違う面白い芸を身につけたらいいんじゃないかって。
●この続きは次週、11月1日(日)12時に配信予定!
●山寺宏一
1961年6月17日生まれ、宮城県出身。声優、俳優、タレント、ナレーターとして活躍。大学卒業後、1984年に俳協養成所に入所。85年にSFロボットアニメ『メガゾーン23』で声優デビューを果たす。吹き替えでは数多の有名俳優の声を担当、「七色の声を持つ男」と呼ばれるほどで、日本で最もディズニーのキャラクターの声を演じていることでも有名。また、テレビ東京の朝の子供向け番組『おはスタ』のメイン司会者に1997年から抜擢され、今年で19年目に突入。2000年には、山寺の吹き替えのファンだったという三谷幸喜に声をかけられ、俳優デビューを果たすなどマルチな活動で人気を誇る。現在は、日本テレビで放送中のドラマ『エンジェル・ハート』で、ホーリー役として出演中。11月7日~8日(日)には、人気声優たちが舞台に立ち、無声映画のアテレコを行なう『声優口演 Special』に出演!
(撮影/塔下智士)