出版界の最重要人物にフォーカスする『ベストセラーズインタビュー』!
昨日よりお送りしている第73回には、『悪の力』(集英社/刊)を刊行した姜尚中さんが登場です。
凶悪事件が多発し、「悪」の力が増大していると感じている人も多いのではないでしょうか。本書は「悪とは何か」というテーマに、現代人を苦しめる「悪」の起源を探っていく一冊です。
姜尚中さんはどのような言葉を私たちに語ってくれたのか。 現代社会に深く切り込んだ、注目のインタビュー。その最終回です。
(新刊JP編集部/金井元貴)
■『悪の力』の礎となっている3冊の本とは?
――今回お話をうかがうことが決まったときに、ぜひ聞きたいと思ったことが「倫理」をどのように考えるべきなのかということです。例えば、インターネット上で起こる炎上を見ると、「悪」というよりも「倫理」を欠いていると感じることが多いのですね。
姜: それは重要な指摘だと思います。倫理は、人間には神から与えられた、自分で自分の秩序を作り出せる、自分の行動を律せられる何ものかがあるということが発端だと思うんですね。それはアプリオリに宿っているものである、と。だから、人間は残虐だけれど、物事を認識できることと同じように、一方で自らそれを律する何かを持っている。そう位置づけたのがカントで、倫理は結局、人間に対する最後の客観的な信頼に支えられていると思うんですね。
――インターネット上では「目立つ」ことが重要とされています。過激な発言や声が大きい人の意見がクローズアップされることが多いですね。
姜: そうなってしまうと、声が大きい人や多数者が強くなってしまうんですね。非常に病的であり、そこに「悪」が宿ってしまっている。悪は「病」であると書きましたが、個人の病であると同時に、世界も病んでしまっている。その感覚は多くの人が持っていると思います。
――名古屋大女子学生の殺人事件で、遺体と一緒に一晩過ごした加害者を例にあげて、「身体性の欠如」を指摘されていますよね。彼女にとって遺体は単なる物質であった、と。
姜: アウグスティヌスは、人間は身体があるから理性がある、つまり身体という人間に与えられた制約があるから理性が宿っていると考えます。ところが、「悪」を成す人間は、観念ばかりが肥大化して自分に与えられた身体という制約を取っ払おうとする。つまり自分の身体性を実感できなくなるんです。
――では最後に、本書を執筆される上で影響を受けた本を3冊、ご紹介いただけないでしょうか。
姜: まだ翻訳が出ていないのですが、テリー・イーグルトンの『On Evil』です。おそらくこの本は『On Evil』なしでは書けませんでした。それから、2冊目はジョン・ミルトンの『失楽園』です。もう一冊にはウィリアム・ゴールディングの『蠅の王』をあげましょう。
(了)
■取材後記