「脱力」なくして、イノベーションなし | ニコニコニュース

プレジデントオンライン

■破壊ではなく、「脱力」する

去る11月17日、初の単著である『創造的脱力――かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論(光文社新書)』を出版しました。これまでに行ってきた実験的な取り組みは、PRの機会には恵まれ、賛否両論ありましたが、どうしても表層的なイメージが先行しました。

そこで、まちづくりなんて考えたこともなかった女子高生が中心の「鯖江市役所JK課」や、全員がニートで取締役、会社としては最初から破綻している「NEET株式会社」など、どんな意図や想いがあったのか、そして、そこでどんなことが起こっているのか、実話をたくさん盛り込み、まとめました。

タイトルになっている「創造的脱力」ですが、これは、経済学者ヨーゼフ・シュンペーターが唱えた「創造的破壊」から連想してつくった言葉です。「創造的破壊」は、社会に新しい方法が生みだされる「イノベーション」の際には、古い非効率的なものは駆逐・破壊されながら新陳代謝されていくというものです。たしかに、新しいものが生まれて定着した結果として、古いものが破壊されてしまうというのは当然のことだと思います。しかしこれは、あくまでも結果の状態の話です。

現実には、古いものを正面から破壊しようとしても、なかなかうまくいきません。古い文化やシステムをつくっているのは、生々しい「人間」の集合体です。複雑な感情や思惑がうずまいていて、簡単には変化を受け容れてくれないし、席も譲ってくれません。隙や詰めの甘さを見せたら、一瞬で潰されてしまいます。

しかし、変化の激しい現代社会においては、隙のない完璧な「新しい答え」や「ソリューション」を準備して、一発で差し替えるなんてことはほとんど不可能だと思うのです。悩んだりとまどったりしながらも、変化や広がりを楽しみながら、いろいろなやり方やスタイルを試行錯誤していく脱力的なアプローチが必要です。

■自分自身が、問題の一部になる

答えやソリューションなどない、脱力的に試行錯誤すべきなどというと、“いい加減だ”と思われてしまうかもしれません。しかし、それは誤解です。正解がない以上、その問題と長い時間をかけて付き合い続けていかないといけません。おそらく僕たちにとって、それはとても苦手なことなんだと思います。

問題と付き合い続けるためには、そこにいるさまざまな人々と直接関わり合い、その人間の生々しさや泥臭さに触れていく必要があります。それは、距離をおいて分析したり、一般化したりできるようなものではありません。つまり、自分自身がその「問題の一部」にならないといけないのです。

悩みます。疲れます。傷つきます。

しかし、はじめから完璧な答えを準備したり、安全なところから分析したりしようとするのではなく、自分自身がその問題の中の当事者になる。そのことで、そこにいるさまざまな人たちの複雑な事情や背景を理解し、場合によっては許し、お互いのズレや違いを認めていくことができるはずです。そして、そこではじめて、今までになかったコラボレーションが生まれたりして、「新しい何か」が創造されることもあるのだと思います。

そのためには、結論を急がず、白黒つけることにこだわらず、立場や価値観のちがう人たちともじっくりと人間関係を深めていくための「ゆるさ」が必要です。きっちりとは固定されていないのに、つながっている。強制されているわけではないのに、参加している。必要に迫られているわけではないのに、欲している。細かいことは決まっていないのに、全体としては成り立っている。「ゆるさ」の中には、「かたいつながり」とはちがう「ネバネバしたつながり」があります。

つながっているのに、流動的。だから、古い価値観や常識を手放していくこともできるのだと思います。具体的な事例がないと、わかりづらい話かもしれません。詳しくは、是非本を読んでいただけたらと思います。