音楽は、不思議だ。
ただ、空気が震えているだけなのに、人を感動させ、楽しませることができる。
レストランやショップでも、音楽をかけるだけで、空間そのものが変わる。1つのヒット曲が、時代の気分をつくる。
音楽が持つそのような力は、脳科学的に裏付けられている。自分の好きな音楽を聴いているときの脳においては、生きるうえで大切な「歓び」を表す回路、報酬系が活性化しているのだ。
音楽を聴くだけで、食べものや飲みもののような、生きるうえで必要なものを摂取したときのような脳活動が起こる。これは凄いことだと思う。
報酬系の神経伝達物質であるドーパミンは、前頭葉に向かって投射されているため、前頭葉を活性化させる作用がある。そして、前頭葉は脳全体の「司令塔」でもあるため、結果として脳全体の回路が活発になる。
音楽が、脳の活動を支える「インフラ」となりうることを知っている人は、たとえば仕事のBGMとして、音楽をうまく使っている。
宮崎駿さんが、映画『崖の上のポニョ』の制作に取り組んでいらしたとき、ずっとワグナーの『ワルキューレ』の音楽をかけている様子が、テレビ番組で紹介されたことがある。クリエーターが、お気に入りの音楽をかけることで、インスパイアされる。そのようなことが確かにある。
ところで、音楽を聴いているだけで脳の報酬系が活性化することを示した研究には、1つ、重要なポイントがある。それは、誰が聴いてもそうなるわけではないということだ。
同じ音楽でも、聴く人によって脳の活動が違う。すなわち、1つの曲を聴いて、報酬系がこれ以上ないほど活性化する人もいれば、全く活性化しない人もいる。
その違いが何から生まれるかというと、ただ1つ、聴く人がその音楽を好きかどうか、愛しているかどうかに懸かっている。同じ音楽でも、その曲を好きな人が聴くと、報酬系が活性化する。好きだと思っていない人が聴いても、同じ脳活動は生まれない。
コーヒーを飲めば、カフェインの興奮作用がある。あるいは糖分をとれば、脳への栄養補給となる。そのような、「万人に効く」ものとは違う、脳の活性化の方法があるのだ。
同じ音楽でも、その曲の良さを理解するためには、ある程度の経験や知識がなければ難しい場合もある。そのような曲を聴いて脳を活性化させるためには、脳に認知的負荷をかける必要がある。
簡単には良さがわからないからこそ、わかったときの脳の活性化はより「深い」。音楽だけではない。難しいと言われる小説でも、近寄りがたいと感じられる現代美術でも、熱心に取り組み、その意味が理解できるようになることで、かけがえのない脳の「糧」となる。つまり、脳の活性化と脳トレが、同時にできるのだ。
今、この原稿は、マーラーの交響曲第三番を聴きながら書いている。昔は、よくわからなかった曲だけれども、今は心から好きだと感じる。
興味のなかった曲でも、繰り返し聴いていると、徐々にわかって、脳の歓びとなる。同時に、脳の働きも高度になる。お手軽な脳の活性化よりも、効果が深く、長持ちする。
難しそうだと敬遠されがちな音楽にこそ挑戦して、深い脳の活性化の糧にしてはいかがだろう? 好きな曲の分だけ、脳の「資産」が増えていく。音楽は、貯金できるのだ。