「存在自体が奇跡」常識外の“近親交配”で生まれた怪物・エルコンドルパサーの強さと「伝説のG2」 | ニコニコニュース

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 競馬には「奇跡の血量」という言葉がある。

競走馬が交配を行う場合の血統理論であるが、例えば父馬の4代前と、それと配合される母馬の3代前が共通の馬であった場合(逆もしかり)、「4×3のインブリード」という言葉が使われ、生まれた競走馬の血量のうち「18.75%」が同じ血で構成されているということになる。これを特に「奇跡の血量」という。

 古くは、1951年に10戦全勝で日本ダービー(G1)を勝利したトキノミノル、近年でもG1を6勝したブエナビスタや3冠馬オルフェーヴルがこの「奇跡の血量」を有しており、極めて優秀な競走馬が生まれやすい理論として定着しているのだが……。

 こういったいわゆる「近親交配」は、抜きん出た強さを誇る馬を生み出す可能性を上げる反面、血が濃すぎるがゆえに虚弱体質や気性難を生む原因ともされている。「18.75%」という数字は、競走馬を生み出す上で“限界”の数字というのが一般的だ。

 だが、日本競馬史に燦然と輝く成績を残した名馬の中に1頭、同血率「25%」という信じがたいインブリードの競走馬が存在した。その名は97年にデビューした外国産馬・エルコンドルパサー。日本競馬史上初めて、世界最高峰、フランスの『凱旋門賞』で2着に入った馬である。

 エルコンドルパサーは、その両親の血をさかのぼると、早い段階で同じヨーロッパの優秀血統に行き着く。馬主である渡邊隆氏の強いこだわりによって生まれた同馬は、その強さもまた常識を大きく超えていた。

 デビュー戦はダートながら後方から最後の直線であっという間にかわして7馬身差の勝利。さらに第2戦は9馬身、3戦目も難なく勝利し、4戦目の初の芝レース、次走のNHKマイルC(G1)も楽勝で、春にはさらっとG1制覇も達成。簡単に書いてはいるが、それだけあっさりと勝利してしまったという印象しかない。

 秋に入り、エルコンドルパサー陣営が初戦に選択したのはG2・毎日王冠。このレースには、当時5連勝中のグランプリホースにして稀代の逃げ馬・サイレンススズカと、エルコンドルパサーの同期にして“怪物”と称され、ケガから復帰した無敗馬・グラスワンダーがいた。無敗の外国産馬と史上最速の逃げ馬のこの対決は、今なお「G1を超えた史上最高のG2」として語り継がれている。

 G2としては異例の13万人が集まったこのレース。結果はといえば、先輩であるサイレンススズカの逃げに誰もついていくことができず、同馬の圧勝で終わった。エルコンドルパサーは2馬身半という決定的な差をつけられ2着。グラスワンダーはそのはるか後方で馬群に沈んだ。

 このレースで注目された3頭は、後にいずれも競馬史に名を残す存在となる。サイレンススズカは次走の天皇賞・秋(G1)で人々の記憶を走り続ける馬となってしまった。そしてグラスワンダーは、その年の有馬記念(G1)から空前絶後のグランプリ3連覇を達成している。まさに「史上最高のG2」だった。

 そして、エルコンドルパサーは次走のジャパンカップ(G1)で同期のダービー馬・スペシャルウィークや、女帝と評されたエアグルーヴにあっさりと勝利。サイレンススズカがいなくなったことで日本での優劣がはっきりしたと見た陣営は翌年、当時の日本競馬では画期的な「長期フランス遠征」を敢行した。

 フランスでの成績は4戦2勝。最後の凱旋門賞こそ、当時のフランスの怪物・モンジューに半馬身馬差に敗れて2着だったが、モンジューと1歳上のエルコンドルパサーの負担重量差、3着馬に6馬身を離した事実から、現地メディアは「チャンピオンが2頭いた」と最大級の賛辞で溢れた。さらに、2走前にはフランスのサンクルー大賞典(G1)も強豪相手に勝利しており、日本競馬の進化を世界に示した名馬となる。

 凱旋門賞後、自身の名前の由来であるサイモン&ガーファンクルの「コンドルは飛んで行く」が流れる東京競馬場で引退式を行い、その後種牡馬となる。しかし02年、7歳で突然の死を迎えた。遺した産駒はわずかだった。

 直系の子孫の種牡馬成績は芳しくないが、母父として15年のエリザベス女王杯を制したマリアライトを輩出するなど、血は脈々と受け継がれている。なんとか日本競馬の血統地図に残ってほしい。

 通産11戦8勝2着3回という“全連対”の戦績。常識を逸脱した血統と強さ、そしてフランスで残した素晴らしい記録。オルフェーヴルやナカヤマフェスタも凱旋門賞で2着に入り、成績面では並んだかもしれないが、エルコンドルパサーを超える馬はまだ出てきていないのではないか……そんな考えが頭をよぎる人も多いだろう。