会議とは、メンバーが一堂に会して決める場です。メモを書くことに没頭して、決め事に参加していないということは、「役割としてICレコーダーに負けている」といえます。
会議に参加すること自体に意味はありません。メモをとるだけなら、他人のとったメモを見せてもらったほうがいいのではないでしょうか。
もし仮にメモをとるのだとしたら、会議のメンバーのためになることにつなげないと発展性がありません。議事録を発行するとか、To Doをシェアするとか……。何か自分が発信する側にまわるか、自分が会議出たことで感謝されるという位置に持っていかなければいけません。
メモをとったものを誰のために、何のために生かすのか、ということを人に説明できるかどうか。例えば、イチロー選手は「私は天才ではない」という主旨の発言をよくしています。普通の感覚からすれば、天才そのもののように思えますが、「才能ではなく、僕は打ったヒットを全部説明できる」と言っています。
つまり、1つひとつの行動に対して自分できちんと説明ができるのが、プロフェッショナルなのです。メモをとっているだけ、それは忘れないようにするため、というような「なぜ、その作業をしているのか」というように点を明確に説明できない働き方は、プロの領域に達した仕事ではありません。
ビジネスというフィールドで戦っていく上で、「誰のために」「何のために」という視点に答えを持ちあわせていなければプロとして失格です。その考えがないと、いま進めている仕事は再現性が乏しくなるのです。
ちょっと大げさかもしれませんが、たかが会議に天才性まったく必要ありません。会議は、メンバーが会って共通認識の上で次に動くべき策を決めるという、極めて現実的な場です。だから「なんで今メモとっているの?」という根源的な問いかけに説明ができなければ、メモをとる意味がないのです。
※本連載は書籍『人事評価の裏ルール』、解説からの抜粋です。
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俣野成敏(またの・なるとし)----------