今年も残すところ1ヶ月あまりとなりました。大晦日は友達の家で年越しパーティ!なんて楽しみにしているひとも多いでしょう。
大晦日(おおみそか)に「年越しそば」を食べるのはナゼでしょうか? 大晦日という概念は奈良~平安時代に始まったといわれ、歳神(としがみ)を迎えるために全員徹夜…互いに起こし合うために街ぐるみで「ピンポンダッシュ大会」をおこなう地域もあり、「誰も眠ってはいけない」日だったのです。江戸時代の大晦日は「つけ」の精算日なので、お店や商人は「取り立て」で夜遅くまで大忙し。縁起物であり手軽に食べられる「そば」が夜食の定番となったのです。
■寝てはいけない大晦日
除夜の鐘や初詣など、お正月の行事が定着したのは奈良から平安時代といわれ、「大晦日」の概念もそのころに始まったと考えられています。晦日(みそか)は三十を意味し、1年の最後なので「大」がつけられ現在は「おおみそか」と呼ばれていますが、当時は大晦(おおつごもり)と呼ばれていました。この日は、1年に受けた「穢れ(けがれ)」を払う日で、神社や宮中で大祓(おおはらえ)と呼ばれる儀式をおこない、翌年に悪いことを持ち越さないようにと願っていたのです。
この行事は庶民にも浸透し、家庭では歳神(としがみ)を迎えるのが一般的でした。農作物の豊作をもたらし、時を司る神と考えられ、「起きて」迎えるのが正しい作法、眠っているとシワや白髪が増えると信じられていたので、「徹夜」で新年を迎えるようになったのです。現代ではちびっ子でも夜ふかしOKな日となっていますが、本来の姿はまったくの逆で「誰も眠ってはならぬ」夜だったのです。
そのため、門を叩いて互いに起こし合う地域もあり、いま風にいえば街ぐるみで「ピンポンダッシュ大会」が繰り広げられるなど、落ち着いて新年を迎えるどころではありませんでした。「お年玉」の語源も歳神からで、「玉」にしたお餅を供えたのが始まりですから、歳神は当時の人たちにとって重要な存在だったことがうかがえます。
■単なる夜食が行事に発展
神聖な大晦日は、江戸時代になると180度変わります。借金を取り立てる商人と逃げ回る庶民で大騒ぎの日だったのです。
当時は信用取引+後払いの「つけ」が広く用いられ、お盆と大晦日が清算日でした。そのため店や商人は朝から集金、払えないひとはお金の工面、なかには集金から逃げ回るひともいるなど、コントのようなドタバタが展開されていたのです。そんなこんなで落ち着くのは夜遅くになってから、おなかがすくのは当然で、手軽に食べられる「そば」が夜食に用いられることが多く、やがて「年越しそば」へと変わっていったのです。
そばが愛されたおもな理由は、
・縁起が良い … 細長い=末永い、の意味
・健康に良い … 脚気(かっけ)予防
で、脚気は当時「江戸わずらい」とも呼ばれるほどに流行した病気で、白米が主食になったのが一番の原因。そばにはビタミンB群が多く含まれるので脚気に有効なのは確かですが、玄米に戻せば良いだけの話…残念ながら当時はビタミン不足が原因だなんて知るよしもなく、そばは「縁起物」と考えられていたのです。
借金の取り立てが「年越しそば」を生んだなんて、がっかりですね。余談ですが、年越しそばを残すと金運が悪くなるとも信じられていましたから、食が細いひとは少し少なめを注文すると良いでしょう。
■まとめ
・大晦日に夜ふかしするのは、歳神を迎える風習から始まった
・眠ったまま歳神を迎えると、シワや白髪が増えると信じられていた
・互いに起こし合うために「ピンポンダッシュ大会」をおこなう地域もあった
・「年越しそば」が定着したのは江戸時代。借金取り立てデーの夜食だった
(関口 寿/ガリレオワークス)