宮内庁の文化祭に秋篠宮家の長男悠仁さまが出品した、ほぼ実物大の信号機オブジェがネットなどで話題になっています。赤・黄・青と本物さながらに点灯できるオブジェは、確かに小学生の作品とは思えない大作。果たしてモデルとなった信号機は実在するものなのでしょうか? 大手メーカー2社に聞くと、今ではほとんど見られなくなった貴重なタイプの信号機であることがわかりました。
【写真】愛子さまが出品したのは「袖付きエプロン」 宮内庁文化祭の様子
徹底した本物へのこだわり
悠仁さまの作品「車両用電球信号灯の模型」は、10日から宮内庁で始まった「宮内庁職員組合文化祭美術展」(非公開)に出品されました。発泡スチロールの板や電球を使用。実際の信号機を見たり、関連資料を読んだりしながら制作しました。
実物大へのこだわりもさることながら、電球を光らせるスイッチを収納するための「電源箱」の制作や、信号灯の点灯時間について赤は53秒、黄は3秒、青は51秒と調整するなど、徹底した「本物志向」がうかがえます。
「かなり撤去されているタイプ」
さて、この信号機オブジェ、現存する信号を模造したものなのでしょうか。大手信号機メーカー2社の担当者に尋ねてみました。
「これは…だいぶ古いものですね。かなり撤去されているタイプと思いますよ」。そう話すのは「日本信号」(東京都千代田区)の担当者。注目したのは灯器が入っている箱の形。「昔は今みたいな切り出し技術がなかったので、丸みを帯びていないのが特徴です。おおむね昭和40年代後半から50年代くらいのものでしょう。日本全国を探せば何カ所かはあるでしょうが、なかなか見つからないですよ、これは」
確かに現在の一般的な信号機は全体に丸みを帯びています。
担当者は「どこにこの信号があるのかはメーカーの私どもでも把握できていません。悠仁さまは文献を読まれたのか、写真を見て制作されたのかと思います」と話していました。
「←」の形が決め手
次に尋ねたのは「京三製作所」(横浜市鶴見区)。担当者は、信号機が角張っているからといって古いタイプだとは断定できないと説明。「弊社の信号機もここまでではないですが、現在のラインナップではそれほど丸みを帯びていないです」。代わって注目したのが矢印灯の矢印の形でした。
「実は現在のタイプでは『←』は『く』と『―』に分かれてしまってるんです。悠仁さまの作られた信号機は『←』とちゃんとつながっていまして、これは確かに古いタイプの特徴です」
さらにこの矢印をよく見ると、「←」の頭の部分はきれいな三角形にはなっていません。また、棒部分も先に進むに従って細くなっています。
この矢印の形こそが、悠仁さまがモデルにした信号機の制作年代を特定できる決め手となりました。担当者が取り出した資料は、交通管制施設協会が1975年に刊行した「交通信号50年史」。一般には販売・配布されなかった貴重な書籍です。この資料に、悠仁さまが作った矢印灯が紹介されていました。そこには京三製として、昭和43~46(1968~71)年製との記述がありました。
「やはり何か文献をもとに制作されたと推測します」と担当者。「当時の物を精巧に再現されていて驚きました」と話していました。
LEDへの切り替えきっかけに興味
そもそも、悠仁さまがこうした信号に興味を持つきっかけは何だったのでしょうか。宮内庁は次のように説明しています。
「悠仁親王殿下は、幼稚園のときに、信号機が電球からLEDへ変わることをお聞きになって、信号機に興味を持ち始めました。小学生になられてからも、信号機に関心を持ち続け、その種類や形のほか、青色から黄色、黄色から赤色へと電気の色が変わる時間にも目を向けられるようになりました」
また、信号灯の脇に設置されている「赤坂表町」は現在はない地名。宮内庁は「秋篠宮邸の場所にあった旧秩父宮邸(表町御殿)が当時の『赤坂表町』に面しており、その場所でこの信号機の模型を作られたことから、標識に名称を入れられた」と解説しています。
電球式からLED式信号への切り替えを知り、新しいLEDではなくむしろ電球式信号、しかも今ではほとんど姿を消してしまった昭和40年代の信号に興味を示した悠仁さま。9歳にして、失われゆく物への哀愁めいた思いを感じているのかもしれません。