泣く子も黙る、ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチン。現在、この男が不滅であることを証明する2枚の写真が海外の陰謀論者の間で出回り、話題になっている。
約100年前、ロシア革命からちょうど3年後の1920年に撮影された写真に写っているのは、兵士として活躍していたとみられる若かりしころのプーチンだ。そして2枚目は、第二次世界大戦勃発の年(1941年)に撮影された、飛行士として任務をまっとうするプーチンの姿である。
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■プーチンとは一体何者なのか?
プーチン大統領といえば、クリミア半島問題真っ只中の今年の3月、2週間近く公式の場に姿を現さず、外交日程もすべてキャンセルしたことで死亡説が流れたばかりだ。このときは、毒による暗殺説が囁かれた。また、6月23日にはモスクワのクレムリン宮で開かれた連邦社会院の設立十周年記念式典に出席しつつ、ほぼ同時刻にアルタイ共和国の別荘に滞在していることがメディアで報道され「やはり影武者は本当だった」と噂されたばかりである。
それだけではない。かつての冷淡なプーチンはすでに毒殺によって死亡し、現在公然に姿を現すプーチンは完全な偽者だとする説もある。その証拠に、2012年頃からプーチンの顔が変わったというロシア市民の声が大きくなったことが挙げられる。アンチエイジング美容注射であるボトックスを打った可能性も囁かれたが、美容整形を受けただけで眼光までも変わるのだろうか? しかしこの頃を境として、確かにプーチンの顔から鋭さが消えている。そして、これらの疑惑を裏づけるかのように、ドイツ紙のインタビューに応じたプーチンの元夫人が「現在のプーチンは“すげ替え”だ」と語ったという情報も流れた。
■プーチンの新たな疑惑と、驚愕の真実
そして今回の写真である。プーチンは、(公式には)1952年生まれの現在63歳とされるが、1920年当時に青年であったとすれば、実際の年齢は100歳を超えていることになるではないか。死亡説、影武者説、そして“すげ替え”説など、さまざまな噂が囁かれるプーチンだが、今回の疑念はそれらを上回る衝撃度であることは間違いない。何しろ、100歳を超えた人間にしてはプーチンの姿は若すぎる。いくら整形手術でも、ここまで歳をごまかせるはずはない。写真の人物が本物のプーチンであると仮定した時、考えられる“真実”は次の2つとなる。
1. プーチンは“襲名”されている
現在のプーチンが、100歳を超えた人物でないことは誰の目にも明らかだ。では、なぜ1920年と1941年の写真にその姿が残っているのか? これはつまり、100年近く前から「プーチン」という人物が、何らかの意図のもと(まるで歌舞伎界における襲名のように)複数の男たちによって代々演じられてきたことを意味している。
各時代、どのようにして“役者”が選定されていたのかは不明だが、カミソリのように鋭く、冷酷な眼光を放つ“あの顔”に似ていることが条件のひとつであったことだけは間違いないだろう。やがて「プーチン」はロシアの大統領にまでのぼり詰めたが、今年、“役者”の交代があったのかもしれない。そうだとすれば、そもそもこの世に「本当のプーチン」など存在しないことになる。
2. プーチンは“吸血鬼”である
もしも現在のプーチンが、100年以上の時を生きながら若さを維持しているとしたら、もはやそれは人間ではない。姿形は人間と同じだが、数百年にわたり生き続けることができる存在――それはズバリ、吸血鬼(ヴァンパイア)だ。世界各地に散らばる吸血鬼たちだが、もっともプーチンである可能性が高いのは、ワラキア公ヴラド3世(別名:串刺し公)だろう。かつて現在のルーマニア南部にあったワラキア公国の君主だったヴラド3世は、ドラキュラ伯爵のモデルとなった残虐で冷酷な人物だった。その統治姿勢もプーチンと重なるが、なによりもヴラド(Vlad)という名前が、ウラジーミル(Vladimir)・プーチンと奇妙なリンクを見せるではないか。
プーチンの正体は一体何者なのか、まだ本当のところはわからない。すべての判断は読者に委ねられている。最近は、プーチンの奇妙な歩き方が「銃の早撃ち名人」の歩き方と同一であることが判明し、人々を戦慄させたばかりである。謎多きこの男が、本当はどんな人物なのか、世界中が関心を寄せていることだけは間違いない。
※画像は、プーチン大統領 「Wikipedia」より引用