夏に「反安倍」という掛け声のもと一致団結した「リベラル」だが、その立ち位置は異なる。著述家の古谷経衡(つねひら)氏が読み解いた。(文中敬称略)
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ネット空間で毎日のように飛び交う呪詛の文脈に登場する「左翼」に当てはまるような人々は、もはや絶滅している。
ソ連崩壊時、日本共産党は「両手をあげて歓迎する」と声明したが、爾来20余年が経過し現在の共産党に「資本論」を読破している党員がどれほど居るのかは疑わしい。現在、左右の属性の決定は思想や観念ではなく党人や政治的イシューに対する賛否による。
そのような意味で現在の「左翼」とは原義の左翼ではない。もちろんこの「党人に対する賛否」とは、安倍晋三に関する評価であり、よって安倍や安倍政権に激烈な「NO」の感情を持つもの=反安倍が、現在の「左翼」の中心核を形成しているのは疑いようもない。
左翼、左派、サヨク、或いはカギ括弧付きの、とあらゆる意味で括られる「左翼」はもはや原義とは異なる位相にあるのでこれを保守、と対置する意味で「リベラル」と称して差し支えあるまい。
現在のリベラルは反安倍をコアとして、華夷秩序のように同心円状に広がっており、激烈な反安倍から揶揄的な反安倍まで濃淡はあれど、特に今夏の「安保法案」では、保守派による「安保法案賛成」と対置してリベラル側に明瞭な団結が観られた。
かつて、リベラルは9条遵守、反自衛隊など冷戦下の社共に代表されるような教条的なスローガンに統一されがちであったが、冷戦後、国際情勢の激変と日本周辺の緊張に伴い、かつて「左翼」と観られた文化人や知識人の中でも、条件付きの改憲を容認したりする人々が現れ、自衛隊を違憲と断言する人物はマイノリティになっている。
今夏の「安保法案」でリベラル側は「個別的自衛権の範囲内で対処可能」だと政権に反駁していた。この数十年で、旧来違憲とされてきた個別的自衛権はいつのまにか既成のものとして是認されていた。
とはいえ、冷戦下の9条遵守は未だにリベラルのある側面を支えているのは事実で、いわゆる「九条の会」が多数の文化人やジャーナリストと両輪する形でその運動を推進しているのは事実だ。しかし2004年に設立されたこの団体は逆説的に教条的護憲の声が風前の灯である事実を際立たせているともいえる。
ゼロ年代に入り大規模な世論調査で改憲の声が護憲を上回る状態が恒常的となり、その危機感の反映がこのような「冷戦時代には全く存在しなかった」有志団体の設立へと駒を進めさせたのだ。
かつて総理を経験した村山富市は、今夏「安保法案」の成立にあたり、「筋論で行けば憲法改正が必要」と、改憲是認の発言を行い、鳩山由紀夫はゼロ年代から“新憲法”を提唱している。
今夏「反安保法制」の中心点の一つにあった学生団体SEALDsの奥田愛基は、小生との対談の中で「国民が望むなら改憲を是認する」(『文藝春秋』11月号)と発言している。もはや護憲はリベラルの中心軸にはない。
※SAPIO2016年1月号