人々が生活する大都市から、自然に囲まれた僻地へ...。
雄大な自然のなかに潜むアンコール・ワット。ユネスコが登録する文化遺産として、カンボジアを訪れるなら欠かせない、愛すべき観光名所の1つです。一方で歴史を辿るとその昔、欧米人に発見された16世紀頃にはすでに滅亡していた都市だといわれているのをご存知ですか?
その歴史の始まりは、現代から何世紀も遡る1100年のこと。ヒンドゥー教寺院として30年以上かけて建立されたアンコール・ワットは、ヴィシュヌとよばれる神に捧げられたといいます。ところが国王の死後には、仏教寺院へと改宗されたことでも知られています。
また、かつてのアンコール・ワットは、現代に見られるような雄大な自然に囲まれた寺院...ではなく、人々が暮らす街の中心でした。窪地や道路、寺院で働く人々が生活していたであろう住居に囲まれた生活地であったことが確認されています。
ではなぜ、大都市から人々の姿がなくなり、衰退していったのでしょうか...?
そんなミステリアスな歴史解明に取り組むのは、オーストラリア最古の名門といわれるシドニー大学に属する考古学者たち。LiDARや地中レーダーなどを用いた慎重な発掘調査が進んでいます。
彼らの活動によって、寺院付近に存在していた数々の建造物に関する証拠が掴まれつつあるようです。特に今回の発掘調査によって明らかになったのは、寺院を取り囲んでいたものが、派手な装飾などでなく、木造の大きな防衛システムであったということ。
この木造の防壁が加えられたとするのが、1297年から1630年のうちどこかのタイミング。そしてこれが寺院最後の修繕であったと見られています。それは、人々がアンコールワットから現在の首都プノンペンへ移動し、アンコール王朝が衰退の道を歩み始めた時期と重なる部分でもあります。
このことから、アンコール・ワットの人々は外部からの侵略に対して、最後の抵抗を経て負けたかもしれないという説が1歩前進。ただこれについてはすでに、戦いによって国や土地の征服が繰り返されてきたヨーロッパ史に重ねて語っていないか、と懐疑的な学者の声もあったのですが...。
果たして本当に外部からの侵略によって滅びたのか、そのほかにも改宗を原因だとする説、あるいはモンスーンの影響や制御不能になった治水灌漑システムなど...多くの考古学者や歴史家によって諸説唱えられるなか、なぜかつての大都市から人々は去ったのか...専門家たちによる研究はまだまだ続きそうです。
Top Image by Chris
Source: Angkor Wat: An Introduction , National Geographic
Esther Inglis-Arkell - Gizmodo US[原文]
(Rina Fukazu)