人気漫画・アニメ『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』は、幕末を舞台にしています。そのため、実在の人物がしばしば登場します。その代表格は「斎藤一」ですね。作品内では斎藤一は「悪・即・斬」を信条とする容赦ない人物となっていますが、実際はどうだったのでしょうか。今回は、るろ剣に登場する実在の人物についてピックアップしてご紹介します。
●斎藤一(さいとうはじめ)
新選組では、副長助勤、三番隊組長、撃剣師範を務めた剣客。幕末の戊辰戦争では旧幕府軍として参戦しますが、明治維新後は警視庁の警官となります。西南戦争では警視隊の一員として西郷隆盛率いる軍と戦いました。
敵陣に切り込んだ際に銃弾を受けますが奮戦し、政府から勲七等青色桐葉章と賞金100円を授与されました。その後、麻布警察署の警部として勤務し47歳で退職。1915年に胃潰瘍で死亡(享年72)。床の間で結跏趺坐(けっかふざ)をした状態だったといわれます。
肖像画(一の長男を基に描かれた)を見ると、実際の斎藤一は板尾創路さんに似ています。耳が大きいので『スタートレック』のミスター・スポックにもちょっと似ています。永倉新八の後の証言によれば「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」だったそうです。
●近藤勇(こんどういさみ)
15歳のときに養父の道場・試衛館に入門し、26歳で天然理心流宗家四代目を襲名。その後、清河八郎と共に浪士組を結成して上京。浪士組は分裂しますが、新選組を結成して局長に。会津藩の庇護(ひご)の下、京都の治安維持に尽力し、鳥羽・伏見の戦いで敗戦後、江戸へ。
幕臣に取り立てられて甲陽鎮撫隊を組織して進発しますが、官軍に先手を取られ任務に失敗。捕らえられ斬首に処せられます。享年35。実際の近藤勇は四角い顔で、苦み走った顔が特徴です。また口に拳を入れることができたそうです。
●相楽総三(さがらそうぞう)
下総相馬郡の豊かな郷士・小島兵馬の四男として生まれました。四男ながら小島家を継ぎ、国学と兵学を修め、私塾を開き門人を多数抱えます。尊皇攘夷運動に身を投じ、その後薩摩藩の要人たちと親交を持つのです。
戊辰戦争が始まると「赤報隊」を組織して官軍として戦います。新政府軍から「年貢半減令」の建白書を認められたため、これをもって京都から江戸へ進発しますが、新政府は手のひらを返します。これで赤報隊は偽官軍とされ、相楽総三は捕らえられ処刑されました(享年30)。これを聞いた妻も自害するという悲劇も起きました。相楽総三の名誉は孫の尽力によって回復されます。1928年(昭和3年)に正五位が贈られました。
実際の相楽総三は、ずいぶん乱暴な倒幕活動を行いましたが、官軍として進軍する際には乱暴狼藉等は働いていません。また裕福な家で育ちましたので特にお金や立身出世に執着があったわけではなく、尊皇攘夷運動にまい進した人だったのです。その一本気ゆえに新政府に翻弄された悲劇の人といえるのではないでしょうか。
●桂小五郎(かつらこごろう)
明治の元勲の一人「木戸孝允」です。吉田松陰の『松下村塾』門下で、幕末の激動の中、長州藩で指導的役割を果たしながら明治維新を実現させました。維新後も明治天皇の信任厚く、政府の重鎮として派閥争いなど、方向性の違いが激化する中、調整役として働きました。
西郷隆盛が下野し、薩摩で挙兵。西南戦争が始まると、京都出張中に病いがあつくなり政府を心配しながら息を引き取りました(享年45)。病床、もうろうとした意識の中で大久保利通の手を握り「西郷もいい加減にしないか」と言い、それが最後の言葉になったそうです。
実際の桂小五郎は非常にイケメンで花柳界でももてもてだったそうです(なにせ奥さんは芸妓だった幾松さんですから)。現存する写真を見てもちょっと濃いめの男前です。
また江戸の練兵館で免許皆伝を得たほどの剣客でしたが、実際に真剣を振るうことはなく、「逃げの小五郎」とあだ名されるほど闘争を避けました。これが桂さんが明治維新を超えて生きられた秘訣(ひけつ)だったのかもしれません。後輩や目下の人間にでも気軽に接する人で面倒見も良かったそうです。
●高杉晋作(たかすぎしんさく)
長州藩の200石取りの高杉子忠太の長男として生まれました。吉田松陰の『松下村塾』の門下です。京都、江戸で他藩藩士と交流し尊皇攘夷運動に身を投じますが、藩から謹慎を命じられます。それにもめげず、品川の英国公使館を焼き討ち。
江戸には置いておけないと藩から萩へと戻されます。このとき下関で身分によらない志願兵の戦闘集団「奇兵隊」を作ります。脱藩して京都へ出ますがこのときは桂小五郎の説得を受けて萩へ戻ります。すると脱藩の罪で投獄されてしまうのです。
蛤御門の変、下関戦争で長州藩が苦境に陥る中、晋作の出番が来ます。4カ国との講和会議に出席し、頑として租借地の要求を突っぱねました。この後、四国に愛人を連れて逃げたりしますが、第2次長州征伐が迫る中、晋作は長州に帰還。
海軍総督として指揮を執り、幕府軍艦隊を撃退するなど大活躍します。しかしこの戦いの後、肺結核が重くなり、1867年に死去(享年29)しました。
実際の高杉晋作は長い顔で、子供のころにわずらった天然痘のせいであばた面だったようです。悍馬(かんば)のように暴れた人でしたが、折りたたみ式の三味線を愛用して即興で都々逸を作るなど粋人の面がありました。ちなみに、奥さんの雅さんは「防長一の美人」といわれたほどの美人でしたが、晋作自身は家を顧みず奔走した人生を送りました。
●山縣有朋(やまがたありとも)
明治元勲の一人ですが、その志士としての原点は長州藩、高杉晋作の組織した「奇兵隊」に参加したことにあります。第2次長州征伐では隊を指揮して幕府軍を押し返し、戊辰戦争時には北海道、会津での戦いに参謀として参加。明治維新後は、陸軍の事実上のトップとして軍制改革を断行。西南戦争、日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦と、日本の内戦、対外戦争に常に関わっています。総理大臣も務めましたが、1922年に死去(享年83)。
実際の山縣有朋はひょろっと痩せた長身で上の歯が出ていたそうです。自分のことを「わしは一介の武弁」と口癖のように言う人で、毎朝6時に起床し、朝食後は槍を振るう運動をしていたとか。幾多の戦いで前線に立った経験がそうさせていたのかもしれません。
●大久保利通(おおくぼとしみち)
同じ薩摩藩士・西郷隆盛と共に維新を達成するため尽力しました。維新後は、内務省の長として、明治維新の改革を次々と断行しました。明治政府の基礎は全て大久保利通の責任において築かれたといっても過言ではありません。1878年5月14日朝、明治天皇に謁見するため馬車で仮御所に向かう途中の紀尾井坂で暗殺されました(享年49)。
大久保利通は仕事に明け暮れた人生を送りました。しかし、一方で非常に家族を大事にした、子煩悩な人でした。三男・利武の回想によれば「一度も怒られた記憶がない」とのこと。また、どんなに忙しくても毎週土曜日の夕食だけは家族と一緒に取ることを心掛けていたそうです。
●土方歳三(ひじかたとしぞう)
武蔵国多摩郡石田村の豪農の10人兄弟の末っ子として生まれ、少年時代には「バラガキ」と呼ばれるほど暴れん坊だったそうです。その後、奉公で江戸に上がります。近藤勇と出会い、23歳のときに天然理心流に入門しています。
近藤について京都に上り、浪士組から新選組へと転身。新選組・副長を務め、「鬼の副長」と恐れられます。鳥羽・伏見の敗戦後、近藤と共に甲斐へと進発しますが失敗。近藤勇の死後は旧幕府軍に合流。戊辰戦争では各地を転戦して指揮官を務めますが、1869年(明治2年)五稜郭の戦いで戦死(享年35)。
実際の土方歳三は非常に男前だったことが知られています。洋装をした有名な写真では、オールバックにしてイケメンに写っていますね。
●沖田総司(おきたそうじ)
9歳ごろ近藤勇の養父の道場・試衛館の内弟子となります。1863年(文久3年)の浪士組決結成に参加して京都へ。この浪士組が分裂しますが、近藤勇らと共に京都に残り新選組に参加します。一番隊組長を務めて「池田屋事件」などで活躍。
1度しか踏み込む音がしないのにその間に3度突く「三段突き」という技を使ったという話があります。新選組最強の剣士といわれるほどの剣客でしたが、その後体調を崩し、大阪、江戸へと移動。江戸では千駄ヶ谷の植木屋でかくまわれましたが、1868年に死去。死因は肺結核といわれます。実際の沖田総司は「ヒラメ顔だった」という証言があります。
●永倉新八(ながくらしんぱち)
松前藩藩士・長倉勘次の次男として、江戸の同藩上屋敷で生まれています。剣術好きで、18歳で神道無念流の本目録。剣術修行に励む中、近藤勇と出会い「試衛館」の食客となります。浪士組から新選組へと転身し、新選組の二番隊組長や撃剣師範を務めました。
鳥羽・伏見の戦い→甲陽鎮撫隊と旧幕府軍として戦いますが、会津藩の降伏後、松前藩に許されて帰参。杉村治備(後に義衛)と改名し、その後は北海道小樽へ。樺戸集治監(刑務所)の剣術師範を務める、東京で剣術道場を開くなどしますが、晩年は小樽で暮らしました。1915年(大正4年)まで長生きしましたが、同年1月15日に虫歯が原因で骨膜炎、敗血症となり死去(享年77)。
実際の永倉新八を写真で見るとひょうひょうとした感じです。また、晩年は映画が好きで孫を連れてよく劇場に出掛けたそうです。あるとき、劇場に出掛けた際にヤクザにからまれますが、眼光と一喝で退けたそうです。ヤクザもお爺さんが誰か知っていたら決してからまなかったでしょうね(笑)。
フィクションですから、実際の人物と作品中の人物は違っていて当然。るろうに剣心に登場するキャラクターは実在の人物であっても実に生き生きとしてます。原作者・和月先生の想像力のなせる業なのでしょうね。
(高橋モータース@dcp)