難病の「前立腺導管がん」で闘病中のドクター・中松氏(87)。医師から告知された「寿命(2015年12月末)」まで残り1週間となった24日、東京都千代田区の外国人特派員協会で記者会見に臨み、自らが取り組んでいた治療法の発明について「2年間全力で発明し、ギリギリで完成させた」と明かしました。
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「天に感謝」
会見の冒頭、ドクター・中松氏は医師から難病の罹患を告げられた当時の心境を振り返り、「私に治療法の発明をするチャンスを与えてくれたことを天に感謝する思いだった」と話しました。
2014年6月には、15年末までの余命を宣告されたことを発表。確たる治療法がないとされる前立腺導管がんについて、「私自らが治療法を発明する」と意気込みました。
ドクター・中松氏は「がん撲滅の歌の発明」「がん撲滅サプリメントの発明」など10のメソッドを考案し、「これを年末までに発明できなければ私は死ぬ」と訴えていました。
「滑り込みですべて発明できた」
24日の会見では、これらの発明状況や理論を写真を交えながら順に紹介。最も難易度が高いと思われる最後の「がん撲滅ロボットの発明」についてはなぜか写真が示されませんでしたが、中松氏は「私が死ぬ7日前に、滑り込みですべて発明できた」と強調しました。
とはいえ「これらが本当にがんに効果があるのか、私も含めて誰にも分からない」とも説明。「有効かどうかは12月31日も乗り越え、1月1日も生きていたら証明になる」と話していました。
さらに「1月になっても私が生きていたら、1月30日にみなさまにこの会見場で結果をご報告したい。その場合は、私のお棺がある場合と私が生きて座っている場合の2通りがある。もう会場をおさえているので、棺桶でも会見することになると思う」と中松氏が話すと、会場が笑いの渦に包まれました。