リクルートホールディングスは2016年1月から、雇用形態にかかわらず(関係者の同意があった場合は派遣社員も)全ての従業員を対象とした、上限日数のないリモートワーク(オフィス以外での勤務)を本格導入するとのことです。
「誰もが柔軟な働き方を自由に選択できる環境を広げたい」(同社ウェブサイトより)という目的の下で行われる実験的な試みは、このことでどのような現象が生じるかで働く人全てに影響を与える重要な案件といえます。
いろいろな障壁があったと思うのですが、それでも導入に踏み切った関係者に対しては敬意を感じます。大変気楽な立場からではありますが、私が気になる論点、結果を見てみたい側面を、いくつか挙げてみたいと思います。(文:曽和利光)
言語化できないスキルを「盗む」ことができなくなる?まず気になるのはリモートワークをすることで、コミュニケーションがメールやメッセージ、チャットなどの「テキストをベースとした言葉、言語によるもの」に偏ることの影響です。いわゆる「ホウ・レン・ソウ」的な業務上の報告や連絡などは、テキスト化してやり取りすることで誤解がなくなり、コミュニケーションコストが下がるかもしれません。
また意思決定をするような場合も、議論の跡がすべてテキストに残っていれば、どういう情報に基づき、どういう流れでその意思決定がなされたのかが明確となり、日本の職場にありがちな「その場の空気などで物事が何となく決まる」ということも少なくなるかもしれません。これらは良い点のように思います。
一方で、人を育成する際のコミュニケーションはどうなるでしょうか。狭義の育成を「ある人が持つ知識(≒形式知)やスキル(≒暗黙知)を別の人に移転する」こととすれば、リモートワークは言語で定義された「知識」を形式知化するよいきっかけかもしれません。
しかし、なかなか形式知化しにくい「スキル」については、伝える側の人の自己認知能力や形式知化≒言語化能力に結果が左右されそうです。特に行動なスキルを持つプロフェッショナルな人ほど自分の行動が無意識化・自動化しており、言語化するのに相当苦労するのではないかと想像します。
「プロの仕事は教わるのではなく盗む」とよく言われるのは、プロ自身が言語化するよりも、プロの仕事を観察して覚える方が伝わるからです。それがリモートワークによってできなくなるかもしれないのは問題かもしれません。
接触頻度が下がる中で「組織の一体感」はどうなるのか次に気になるのは、バラバラで働いている組織メンバーの間に一体感のようなものが生じるのかということです。ここでは「一体感」≒「メンバー同士の好感度や親密度、共感度」とします。
もちろん、そもそもそのようなものが必要なのかという議論はあり、一部の人々が機械的なつながりによって動ける役割分担のはっきりした組織においては必要ないかもしれませんが、ここではその問題はさておき、一体感が必要な場合に、それが生じるのかどうかを考えたいと思います。
リモートワークによって欠ける可能性のある一体感を生み出す要素は、日々の「接触頻度」です。ザイアンスの単純接触効果(繰り返し接すると好感度が高まる効果)がどこまでリアル接触以外でも成り立つか、という問題と言い換えても構いません。
単純接触効果は、TVCMのタレントや商品などやバナーなどのネット広告についても成り立つので、リモートワークでも大丈夫かもしれません。ただ、単純接触の絶対量はおそらく減るので、それがどの程度一体感喪失につながるのか、それともつながらないのか興味があります。
人材の多国籍化への適用力は高くなりそう最後に、仕事の結果に対する影響、言い換えれば「生産性」への影響についても気になるところです。古典的な心理学研究であるメイヨーによる「ホーソン研究」などでは、次のような仮説が提起されました。
「労働者の作業効率は、客観的な職場環境よりも職場における個人の人間関係や目標意識に左右されるのではないか」
「インフォーマルな人間関係の存在が生産性に影響を与える(例えば、相性の良い人との作業は、楽しかったり、頑張ろうと思えたりして、結果として生産性が高まるということ)のではないか」
つまり、もし上述の組織の一体感がもし失われるのであれば、生産性が下がる可能性があるということです。これに、最初に挙げたプロのスキルが伝えにくい可能性によるコンテンツ自体の質の低下が加わるとどうなるでしょうか。
――と、嫌なことばかり述べてしまいましたが、私は、リモートワークの導入は、これらのリスクを冒してでも、成功した暁にはプラスの大変多いチャレンジであると思います。様々な事情を抱える人の能力を活かすことができる働き方ですし、そのことによって多様性が高まることによる良い影響が期待できます。
広いオフィスを必要としなくなるために、コスト的な面においても多大なメリットがあります。面積を狭くする分、設備にお金をかけることもできます。苦労してでもリモートワークに慣れた組織は、リアル場で働くことしかできない人で構成されている組織よりも、今後の人材のグローバル化(多国籍化)への適応力は高いことでしょう。
そう考えるとこれからの世の中において、リモートワークは是非を議論するものではなく「どうやって実現するか」というものなのかもしれません。今後も様々な企業においてなされるリモートワークへの取り組みに注目していきたいと思います。
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