今年も残りあとわずか。お正月の準備は無事に進んでおりますでしょうか。私も本物の稲わらを使って注連飾りを作るソーシャル・アクション「team 和・KA・ZA・RI」を全国各地で展開しています。
理由は簡単。私たち日本人の多くがこの「お正月」の意味を知らなくなったからです。結果、些細な変化が起こっても何も気付かない。これは昨年にもお話ししましたが、とりわけ注連飾りを取り巻く実状は、そんな日本人の「お正月」に対する無理解さを象徴するものとして私も注目してきました。
基本的に、いわゆる「正月飾り(門松・注連飾り・鏡餅)」というものは、「年神さま」と呼ばれる「農耕・穀物の神さま」を迎え入れるためにあります。しかし、多くの方はそれを知らないがために、今、市販の「注連飾り」の多くが「中国産の水草」でできていることになんら疑問を抱かないのです。
とくに近年の「飾り」の中には、ご丁寧に「年神さまを迎えよう!」といったお正月の理解をパッケージ上に促すものまで登場しているだけに、結局主成分が「水草」のままだったりすると、返って状況は悪化しているのではないか?という気さえしてしまう。まぁ、それでも「やるだけまだいい」と言われればそれまでなんですけどね。
ただ、それでもやはりどうせやるのであれば、「意味はいいのよ、見栄えさえ良ければ」よりは「見栄えはいいから、意味のあることをやろうよ」といきたいですよね。「水草」はあくまで「雑草」の類ですから、「穀物」の神さまを迎え入れる習慣にならって、「稲わら」できっちり仕上げましょう、というのが、この「team 和・KA・ZA・RI」プロジェクトではあります。
なぜ私たちはお正月にはお餅を食べるのか?ただ、よくよく考えてみると、正月飾りの中でもっとも親しまれている「鏡餅」も、本来、「神前に供える」ことで意味を成すものなのですが、そもそも「神棚もない」といった方も多いんですよね。それだと結局、お供えする意味がありませんので、実は単にお餅のパックを買ってきて普通に食べているのと何ら違いはないという(笑)。でも、考えてみてください。「なぜ私たちはお正月にはお餅を食べるのか?」別にお餅はお正月にしか食べられないものではありません。それでは何故なのか? お正月に食べることに意味があるからです。
お餅は神前にお供えすることで「年神さま」の御霊を宿します。これを食べて「一年の健康を願う」のがお正月。門松は年神さまを寄り付かせる依り代であって、しめ飾りで迎えてお餅を食べることで年神さまとの合一をはかる。
そう考えると、今多くの方が迎えるお正月というのは、「日本風のお正月をやっている」だけであって、「日本式のお正月をやっている」わけでは決してないということが分かると思います。
海外の方は日本のお正月が非常に特徴的であることに興味があると言います。実際、私もそうした声をよく聞きます。しかし、その意味を求められたときに答えられない、というのは何とも残念な感じではないでしょうか。
今年は全国9都道府県にまたがって行いましたが、評判は上々です。しかも、お年寄りからお子様まで老若男女問わずご参加いただけますので返ってしめ飾りと作るという共通作業に、世代を超えた程よいコミュニケーション・ツールにもなってきております。是非、一度日本式のお正月を再現してみてはいかがでしょうか。結構、楽しいものですよ。
著者プロフィール一般社団法人国際教養振興協会代表理事/神社ライター
東條英利
日本人の教養力の向上と国際教養人の創出をビジョンに掲げ、一般社団法人国際教養振興協会を設立。「教養」に関するメディアの構築や教育事業、国際交流事業を行う。著書に『日本人の証明』『神社ツーリズム』がある。
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