全国で入学シーズンを迎えた昨年4月。京都府内のある88歳の男性が亡くなりました。鈴木正造さん。主に京都府内の一部の小学校で導入されている、ランドセルに代わる通学カバン「ランリック」の開発者です。ランリック発売開始からもうすぐ50年。家族に残された資料から、京都発の通学カバン誕生の物語を追いました。
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年間1万個を製造
ランリックは京都府向日市の学生用品販売会社「マルヤス」が製造しています。主に京都府宇治市や亀岡市、城陽市の小学校で児童の通学カバンとして採用され、現在は年間約1万個が豊岡で生産されています。
特徴はその軽さと色。ランドセルでは1キロを超える物もあるのに対し、ナイロン製のランリックは大型サイズで670グラム、特大サイズでも760グラム。標準タイプは道路標識の色に合わせて黄色と黒が使われています。
販売が始まったのは1968年。当時、マルヤスは洋品店として制服や一般の衣類を扱っていましたが、カバンの製造は経験がありませんでした。そんな同社がどうしてランドセルに代わる通学カバンを作ることになったのでしょうか。
社長が残した「ランリックの起源」
「ランリック(ランドセル兼リュックサック)の起源について」。そんなタイトルが付いた小さなリーフレットが同社で見つかりました。日付がなく、昭和のいつごろに書かれたものかは不明。ただ全体の文面から、発売されて間もない時期にマルヤスの当時の社長、鈴木正造さんが書いたものだと推測できます。そこには、ランリックを初めて導入した、長岡町立第三小学校(現・長岡京市立第三小学校)の当時の校長から受けた相談内容が記されていました。
校長は鈴木さんに、ある保護者から聞いたこんなエピソードを伝えます。
「私の家は貧しいから子供に高価なランドセルを買ってやれないので豚皮のランドセルを買いました。子供は喜んで、いつから学校へ行けるのや、と毎日日々を楽しみにしておりました」
「いよいよ学校が始まり、楽しそうに通学しておりましたところ、ある日学校の帰り道、お前のランドセルは、穴がいっぱいあいている、これは豚やと言って、ことあるごと『ブタ、ブタといじめられる』ので学校好きの子供が学校へ行くのがいやだと申します」
校長から、より安価でランドセルの代わりとなる通学カバンの開発を「切々と」相談された鈴木さん。資料には「早速お引受して色々試作」を始めたとあります。
「事故から守る」との願いも
開発にあたっては「子どもを交通事故から守る」との願いもありました。同社には「子どもの時間別交通事故発生状況図」と書かれた資料や、事故の発生を伝える新聞記事なども、たくさんの生地見本とともに残されていました。どれも線引きや書き込みがされています。
そして68年春、いよいよランリックが誕生しました。当時の新聞記事には「親たちも『洋服や教科書にお金がいるので大助かり』『軽いので動作が機敏になり、交通事故にも安心』と、なかなか好評」などとあります。
当初は第三小の「特製ナップザック」との位置づけでしたが、低価格と安全を意識した姿勢が学校関係者や保護者の共感を呼び、導入校が次々に増えていきます。80年代には採用校が300校を超え、年間2万個以上を製造することもあったそうです。
「頑固者で勉強熱心」
校長から相談を受けるや快諾し、まったく未経験の通学カバンの開発に挑んだ鈴木さん。そんな鈴木さんの姿は家族にはどう映っていたのでしょうか。
「親父は頑固者で、これをやると決めたら突き進むタイプでした」と長男で2代目社長の大三さん(60)は振り返ります。「周囲も巻き込まれて大変だったこともあるんですけど、本当に勉強熱心だった」。大三さんの妻、真弓さん(57)も「何かに打ち込んでいる時は、ご飯を食べるのも忘れるくらいの人でした」と話しています。
大三さんはこんなことを覚えていました。「親父は『リュックサック』と言わずに『リック』ってよく言っててね。そんな勘違いでランリックという商品名になったんですよ」
鈴木さんは2015年4月、がんで88歳で亡くなりました。大三さんは言います。「どんな思いがあってランリックを作ろうとしたのか、どんな試行錯誤があったのか、もっと親父に聞きたかった。この年になってつくづく思います」
女子高生や大人の購入客も
学校の統廃合や少子化も進み、ランリックの年間製造数はピーク時の半分にまで減りました。それでも嬉しい話があります。ランリックで育ったという親が子どもと一緒に買いに来るケースが増えてきたのです。ほかにも女子高校生が通学用に買い求めたり、「丈夫だから仕事に使いたい」と中年の男性が購入したりすることも相次いでいるそうです。
「50年も続くなんて思っていなかった。これもランリックを愛用していただいたみなさんのおかげ。『孫にランリックを買いに来た』というお客さんにも会ってみたいと思っています」と大三さん、真弓さん。遠方に住む人たちへの需要も増えてきているので、同社は今後、ネット販売にもさらに力を入れていく方針です。
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