中国メディア・観察者網はこのほど、中国海洋大学の桑本謙教授の「南シナ海の仲裁案、中国はなぜ相手にしないのか?」と際する文章を掲載した。桑教授は同文章で国際法とは力のある国家が築いてきた「強盗の論理」であり、こちら側の意見に道理があるのに相手が受け入れない場合には「最終的には力ずく」と主張した。
南シナ海に存在する島の領有権について、フィリピンは2013年、国家間の対立を調停する国際司法機関のひとつである常設仲裁裁判所で中国を提訴した。中国は猛反発を続け、同裁判所が2014年に中国に抗弁の陳述書を提出するよう命じたが拒否し、同裁判を受け入れないと主張した。
同裁判所は15年10月、フィリピン側の一部の訴えに関して裁判所に管轄権があると判断し、審理を続行すると発表した。中国の主張を受け入れず、国際司法機関が同問題に本格的に取り組むことが決まったことになる。
桑教授は文章中で、国連海洋条約制定に中国は参加していなかったとして、「中国はゲームのルールを作った側ではない」と指摘。さらに「国際法」は国内法とは違い、力のある国が覇権を握り、世界の警察の役割を担うだけで、実際には「強盗の法」であり、「げんこつの硬い者の言うことが通る」という点で、本当の「法」とは言えないと主張した。
さらに、文明社会は国内統治においては「野蛮な復讐」を排除したが、国際関係は現在も「野蛮時代」との見方を示した。
桑教授は南シナ海の領有権問題について「われわれに道理がないというのではない。しかし道理を説いても相手は認めない。道理が通じないなら、実力に頼るしかない。道理が通ったとしても最終的には実力だ。領土とはもともと、そのようにして作ってきたものだ。話し合いで領土ができるわけではない」と主張した。
桑教授は1970年生まれ。山東大学威海分校法学院(法学部)、山東大学法学院の講師、助教授、教授を経て現在は中国海洋大学法政学院の教授だ。専門は法理学、法律経済学、刑法。
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◆解説◆
まず「国際法」という概念そのものが、強国の恣意的行動に歯止めをかける性格を持つものだ。たしかに制定時に「わがまま」が通ったとしても、大部分の国がそれを「ルール」と承認した後は、強国といえども状況が変わった際に、再びその場で自らに都合のよい行動を取ることがしにくくなる。
また、国際法や国際司法機関、さらに言えば中国が安保理常任理事国を務める国際連合も、国家間の対立や争いを「実力」、つまり「戦争」で解決することをできる限り防止することが目的で設立されたものだ。「戦争を避ける」との目的は、現在も達成されたとは言い難いが、少なくとも第一次世界大戦が終わってからの歴史の流れだ。桑教授は約100年に及ぶ歴史の流れを無視している。
さらに言えば、第一次世界大戦後に「戦争防止」の気運が発生した最大の理由は、技術の進歩にともない、大量殺戮が可能な兵器が多く登場したことや、それまでの「軍隊と軍隊が衝突する」戦争が、国家間の総力戦、つまり「国民全員と国民全員の殺し合い」に変貌したことがある。
もうひとつ指摘しておく。例えば、これまで「世界の警察官」などと言われてきた米国が、相当な横暴を繰り返してきたことは事実だ。「あまりにも阿漕」としか言いようのない事例も多かった。しかし米国では自国政府を批判/非難する自由がある。米国はベトナム戦争に敗北した。ベトナム側が粘り強く戦ったのは事実だが、米国は国内で高まった反戦世論に負けた側面が大きい。
共産党の上層部が決めた重要政策に、抵抗する自由が認められていない中国の場合、暴走する危険はより大きいと言わざるをえない。
そして中国は、核兵器の保有を「公認」されている国でもある。人類の生き残りのために核兵器を廃絶すべきであるのは言うまでもないが、「やむをえず」保有を公認されているということは、力の行使についてそれだけ「慎重さが求められている」ことでもある。中国海洋大学の桑本謙教授にとっては、人類全体が生き残るチャンスの拡大を模索してきた歴史の流れも、自国の立場と責任も関係なく、「ほしい物は力ずくで取る」ことだけが大切らしい。(編集担当:如月隼人)(イメージ写真提供:123RF)