「そっちの方がおもしろいからに決まっているでしょう?」
おもしろいモノをつくり、世に送り出す。現代でいえば出版プロデューサーと呼べる仕事をしていた人が江戸時代にいた。その人物の名前は、蔦屋重三郎。喜多川歌麿、東洲斎写楽の仕掛け人であり、恋川春町、山東京伝、大田南畝、葛飾北斎といった名立たる浮世絵師、戯作者の作品を世に送り出したのがこの重三郎だ。
そんな蔦屋重三郎を描いた小説が『蔦屋』(谷津矢車/著、学研マーケティング/刊)である。著者の谷津矢車氏は、第18回歴史群像大賞で優秀賞を受賞し、2013年、『洛中洛外画狂伝 狩野永徳』でデビュー。歴史小説を中心に執筆、演劇の原案なども手掛けている。本作は2014年に出版された2作目となる。
重三郎は吉原に生まれ、吉原の中に耕書堂という本屋を開き、『吉原細見』という吉原のガイドブック的な本を出版、販売する。蔦屋版のそれの人気は群を抜き、蔦屋の独占稼業になっていた。これを買えばそれだけで通ぶれる、という本だった。
しかし、天明・寛政という時代。松平定信による寛政の改革が始まると、出版の規制も厳しくなり、自由に作品が出せなくなるという時代になっていく。
「世間の興味には波がある。その波はいつやってくるかわからないし自分から作ることもできない。でも、その波に乗って進んでいけば、自分以上のことができる」(P92より)
「新しいものっていうのは、往々にして頭の固い人から見ればヘンテコで洗練されていないものだ。もちろん、そういうものを先物買いしてくれるお客さんってェのはいるにはいるけども、それじゃあ大売れとはいかない。十歩先に行ったものじゃあ新しすぎる。かといって、一歩二歩先くらいじゃあ誰も驚かない。いうなれば、五歩先くらい先を走るものを作りたいね」(P155より)
「あたしにとって一番の財産は、いろんな人たちと結んできた縁です。あたしにァ何の力もない。でも、その縁をこねくり回して引っ張ってやって、江戸に風穴を空けてきた」(P319)
時代は違えど、重三郎モノづくりの姿勢は現代に通じるところが多くある。現在のテレビ・出版業界も少なからず表現の規制はあり、ひと昔前からすると厳しくなってきている。もし、重三郎が現代に生きていたら、そんな時代の中でも、世間や風評を皮肉ったりしながら、おもしろいモノをつくりだしていくのだろう。