「普通の国」になるか、「特別な国」のままでいるか | ニコニコニュース

川端達夫氏(衆議院副議長)
プレジデントオンライン

■信頼を回復するまでに10年はかかる

【塩田潮】「1強多弱」の政党状況が続いていますが、2016年夏の参院選、次期総選挙を見据えて、選挙を通し政権交代可能な政治勢力をどうやって再現するか。議会政治と政党政治の機能を考えると、国民にとっても大きな関心事ではないかと思います。

【川端達夫(衆議院副議長)】安倍さんや自民党がやっている政治は一つの考え方であるのは当然ですが、どの人に聞いても、それに対してもう少し人間や弱者などにウェートを置いた側の政治勢力が必要では、と言うと思います。ですが、向こう側とは違うというだけで集まるのはダメで、大きな共通の認識や旗の下に集まらなければならない。

とにかく「小異を捨てて大同に」と言い、その場合の「大同」が、手段である政権交代だけ、選挙に勝つだけでいいということが、民主党が政権を取るのに歩んできた道、政権を取ってうまくいかなかったことの大きな背景だったと思っています。小さいままではダメで、力を合わせて選挙に勝とうというのはいいけど、何のために、何をするために、どういう国をつくるために、ということを大きな共通認識として持たない限り、それは烏合の衆で、いつかボロが出る。もめる。結果的に国民の期待を裏切ることになる。

それは民主党の人はよく考えていると思う。だから、一緒になるためには、この人たちは何を考えている人で、あっちの人と一緒なのか違うのか、という点がまずあって、こっちの側なら、手順がいろいろある。望むらくは参院選までにということで、今、民主党と維新の党が政党間レベルで共通政策のすり合わせをやっている途中だと思います。

国会での可能な部分の共闘、統一会派の結成、次に選挙協力、あるいは候補者調整と相互支援と進み、ここまできたら一緒になりましょうかという局面となります。手間暇かかるけど、途中を省略して先に進むと、いっときいい目にあっても、必ずしっぺ返しがあり、前よりも悪くなるというのが、私が民主党で10年ほどやってきた経験です。

イギリスの労働党は政権に復帰するのに17年かかった。その後、野党になり、今度、いつ政権に復帰できるのかというと、次とか次の次ではないと思う。私は、民主党があれだけお叱りを受けて野党になり、もう要らないと言われたけど、国会などの活動を通じて、民主党もいたほうがいい、多少は役に立つと思ってもらうように信頼を回復するのが次の場面だと思います。ところが野党になった次の総選挙が2年後で、早すぎたから、そうならなかった。

地道にいろいろな局面で政策を提案しながら、国民から、もう一回、政権をやらせてみるかという声が出るまで、あと3回、総選挙が必要でしょう。10年かかる。10年後に政権に戻るんだと思って、腹を括って、そのために今、何をすべきか。これが要ると私はずっと言っていますが、すぐに政権に戻りたくなる(笑)。

■何をすべきかというとき、焦ってはいけない

【塩田】政治家も人間として寿命があり、その前に政治生命の寿命もあります。

【川端】15年11月の私のパーティーで、 102歳の日野原重明先生(聖路加国際メディカルセンター理事長)を紹介させていただきましたが、先生は「後輩の方の77歳の祝いをしたとき、『ところで、君のこれからの人生の目標と実現への行程表は』と聞いたら、相手が目を白黒させた。私は『僕の歳まで君はあと25年もあるのに、まさか何の目標を持たず、ただぼんやりと過ごすつもりじゃないだろうな』と叱っておいた」とおっしゃった。

そう思えば、今、何をすべきかというとき、焦ったらいかん。一番の救いは、われわれが考えている立ち位置と目指す国は絶対に消えてなくならないし、なくしてはいけないという考え方の勢力のはずです。いつか一回こっちに政権をと国民が思うように、力を蓄えることです。いっぺんに数を増やすとか、人気がある人と一緒になるとか、トップを替えたらバラ色の党になるとか、党名を変更したら世の中がよくなるというのは違うだろうと言いたい。そう思いたくなる病気は、そろそろ卒業しようよという感じですね。

政権を担わせて下さいと言うのは、国と国民の日々の暮らしに責任を持つことでしょう。この人たちに政権を渡して、私たちの生活は本当に大丈夫なの、と思われた瞬間にアウトです。私は口癖のように言っていますが、防衛の安全保障、生活の安全保障、エネルギーの安全保障、食糧の安全保障の4つの安全保障があります。生活の安全保障は社会保障です。この4つの安全保障政策の議論は徹底してやったらいい。答えを出したら、みんなで守るということをしなければ。当たり前ですが、俺は反対とテレビで言ったりしない。造反はやめる。厳とした規律ある普通の組織にならなければならない。みんな相当堪えますが、それはなくなってきていると思う。ときどきまだわかっていないのかなという人がいますが。

【塩田】2016年前半の政治の行方ですが、夏に参院選があります。1月4日の通常国会召集で、安倍首相が衆参同日選を仕掛けるのではないかと憶測を呼んでいます。

【川端】今夏で任期が切れる参議院議員の任期満了日の30日前までに参院選を、解散から40日以内に総選挙を、といった規定があり、参院選の公示日の関係、それに選挙権年齢を「18歳以上」に引き下げた改正公職選挙法の適用が施行日以降の公示の選挙からということもあって、1月4日に国会を召集して、 150日の会期で会期末の6月1日に衆議院を解散したときに、選択肢として1日だけ、7月10日の投票日でダブル選挙ができるというスケジュールです。それ以外だとダブル選挙はできない。

安倍首相にすれば、そういう可能性を残して、「同日選カード」を持っていることは極めて大事です。そのことはみんなわかるわけですから、解散があるかもしれないと思うと、みんなバタバタする。それが安倍首相の思うつぼということでしょう。

【塩田】川端さんは旧民社党の出身ですが、民社党の政策・路線、民社党での経験を、その後の政治家としての活動でどう生かしてきましたか。

【川端】民社党時代、マスコミにいっぱい叩かれながら、「日米安保条約が一番大事」「自衛隊は必要」と言い、後になったら「PKO(国際連合平和維持活動)は当然」と言ってきた。結党時の言葉である「福祉国家の建設」はプチブルジョワジー思想と批判された。エネルギー政策も含め、民社党がお叱りを受けた政策が全部、今、国の根幹の政策になっています。ということで、そこはある種、誇りを持っています。

民社党時代、逆風を抱え、非常にバッシングを受けることが多かったんですが、西尾末広先生(元民社党委員長・元官房長官)など、先輩の行動や姿勢から教えられたのは、「信念と覚悟を持って正しいと思う道をひるまず進め。それで国民のバッシングを受け、理解を得られないのは、努力が足りないと思え」ということです。「百折不撓」、百回折れても、絶対変わらず、あちこちするなという教えでした。京都選出だった永末英一先生(元民社党委員長)には、「望むらくは大きな勢力になればいいけど、ぎりぎり絶対に後で大きくなる、目指す世の中が来るはずと信じてやれ」と言われました。逆風が吹いたら辛いですよ。だけど、私は過去の経験から口を酸っぱくして、みんなに「我慢しろ」と言っています。

■日本の文化や技術はものすごい価値がある

【塩田】長い歴史の中で、われわれは今、どんな時代を通過していると思いますか。

【川端】戦後70年を振り返っていろいろ考えたとき、民社党時代も含めて、外交・安保政策で、普通の国か特別な国かと議論してきました。ところが、いろんなところで今、日本が見直されている。和食とかものづくりとか、それも職人の技などに。日本で廃れてきたものに外国人が光を当て、鰹節のダシがすごいとか、フランス人のシェフが日本の田舎に行って何か探したりする。日本人が普通のことと思って、そんなに大事にしてなかったものまでが、世界から見たらすごいと言われ出した。

実は日本の外交・安保政策でもそういう見方もあるような気がしています。外国の人が来て、みんな言うんです。この国とあの国が目茶目茶、深刻にもめて、殺し、殺されとやっているのに、その国の人たちが日本に来ると、日本は本当に紳士的で、昔こんなことで助けてもらったとか、感謝の言葉を口にする。日本に対する憧れもあり、みんな技術力に対する注目度が高く、これからもよろしくという感じです。

これは日本人がつくってきた文化や技術と同時に、日本が世界の中での立ち位置で、結果として一人も殺さず、殺されずということをつくり上げたてきた。それが戦後70年経って、ものすごい価値になっている。そんな国かもしれないと思う。それを棄てて普通の国になるという選択するのか、それをもっと生かして特別な国のままでいるのか、今、考えどころに来ています。私は両面だと思うんです。自分も政治家として両面があります。

SMAPが歌っている歌「世界に一つだけの花」の中に「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」という歌詞があります。フジテレビの番組で、15年に世界に誇る日本の歌ナンバーワンに、この歌がなった。今聴いて、一番いいなと今の人が思ったということです。世の中の人も、一番は無理よねというのもあるかもしれないけど、本当に個性的にこれがいいというのがいいと思う時代に変わってきた。テレビを見ていて、自分が今、思っていることと何か似ているなと思いました。

【塩田】先の日野原氏の話では、川端さんは30年の人生がありますが、これからどんな役割を担っていこうとお考えですか。

【川端】手前味噌ですが、ありがたいことに、いろいろな経験をさせてもらった分、いろいろなことを幅広く考えられるのは経験のなせる業かなと思います。私はあまりディベートなんかは得意でないから、華々しい議論をするつもりはありませんが、みなさんに育ててもらったことへのお返しは、みんなが選んだ政治がみんなのためになるという、もう少し成熟した民主主義の国にすることで、その点で多少お役に立つことがあるのかなと思っています。認知症にならないように気を付けて、日野原先生に倣って、あと30年、頑張らなければと思っています。

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川端達夫(かわばた・たつお)
衆議院副議長
1945年1月24日、滋賀県蒲生郡(現近江八幡市)生まれ(現在、70歳)。滋賀県立彦根東高、京都大学工学部を経て、京大大学院工学研究科修士課程修了。東レに入社し、炭素繊維や逆浸透膜などの開発に従事する。東レ労働組合滋賀支部長を務め、当時の武村正義滋賀県知事(後に蔵相)の選挙応援がきっかけで政界入りを決意。1986年総選挙で民社党公認で初当選し、以後、落選を挟んで計10回当選(旧滋賀全県区・現滋賀1区・比例近畿ブロック)。民社党、新進党、新党友愛を経て民主党に。国会対策委員長、幹事長を歴任し、2009年に鳩山由紀夫内閣で文部科学相(菅直人内閣でも再任)、11年に野田佳彦内閣で総務相となる。14年12月に衆議院副議長に就任。壊れたものを直すのが趣味で、「何でも直します。不具合になったら、なぜ不具合なのか、調べたくなる」と話している。

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