当代きっての人気小説家ながら、度重なる暴言、失言の類いで世の顰蹙を買っている百田尚樹氏。60歳を前にして引退を考えることもあるという。プロインタビュアーの吉田豪氏が、百田氏に斬り込んだ。
──よく引退は口にしてますけど、本気なんですか?
百田:私はもともと小説家って世の中になくてもいい仕事やと思ってるんですよ。音楽家とか、あるいはプロ野球選手とかも、なくても社会は困らない。こういう商売は、多くの人がしっかり働いている、そのおこぼれをいただいてるんで。食うや食わずの生きるか生きないかって国ではこんな商売は成り立たないですよ。
──平和だから成立しているなって実感はあります。
百田:そう、平和で豊かな国やから成立してる。ホントに私は多くの人に食わしてもらってると思っています。だから小説書く場合でも、そういう人たちに恩返しをせなあかんという思いがあるんです。でも、文壇の世界を傍から見ていると、「俺は選ばれた人間だ!」と思ってるんちゃうかというような作家とかもいます。アーティストとか呼ばれている人もね。大きな勘違いやろと思います。
──作家は嫌いですか?
百田:読者のほうを向いてない作家は嫌いですね。自己満足とか芸術性で「売れなくてもいいんだ」とか「俺の作品はわかる人だけわかればいいんだ」とか言う作家がいますけど、売れなくてもいいと思っているなら、ブログにでも書いとけって話で。本を出すっていうのは慈善事業じゃないし、ボランティアでもないんです。
──そこは同感です!
百田:実際、いま純文学は3000部とかしか売れないんですよね。私はテレビをやってたから、すぐこんな発想するんですが、3000部というのはどんな数字かというと、4万人にひとりしか読んでないですね。同じ本を読んだ読者同士が出会うことなんか有り得ない。そういうのが偉そうに「文化」とか言ったら、ちょっと違うやろ、それはオタクの世界やろと思うんですよね。
──それは、放送作家で視聴率での闘いをしてきたからの発想だと思いますね。
百田:かもしれませんね。僕らは視聴率命で、いかに数字を取るかでやってきましたから。テレビの局員は視聴率取れずに番組が終わっても給料は変わらないけど、フリーの放送作家とかディレクターは、番組が終わった途端にギャラがなくなる。死活問題なんですよ。視聴率を取るか取らへんかに生活がかかってるんで。
──3000人が観ればいいって発想にはならない。
百田:うん絶対ならない。作家になってテレビとの差を歴然と感じましたね。たとえば夜9時台の番組で視聴率3%とか取ったら、番組なんかすぐに打ち切り。でも3%って悲惨な数字ですが、それでも360万人ぐらいは観てるんですよ。
──本でいったら……。
百田:すごいですよ、村上春樹さんの新刊がどんだけ売れても360万は売れないですから。それがテレビだと「3%? お前ら死ねや!」って言われるぐらいの数字なんですよね。だから現代でいう文芸はどれほどの影響力のある文化かと思うと、これは鉄道オタク以下の世界じゃないかと。
──『タモリ倶楽部』で扱われるぐらいのマニアの世界ってことですね(笑)。
百田:文楽のファンの数と変わらない気がするんですね。そういう世界のなかで、いわゆる作家村とか文芸評論家とかがふんぞり返ってるように見えるんですよ。「どうして、そんな偉そうにできるの?」と。私は売れてなんぼやと思います。
視聴率がいい番組は、多くの人が喜んだ番組なんです。たくさん本が売れたということは、多くの読者が喜んだ本なんです。売れなかった本というのは、読者が喜ばなかった本なんですよ。私は読者が喜ぶために本を書いてるんで。
【プロフィール】ひゃくた・なおき:1956年大阪生まれ。同志社大学中退後、放送作家になり、『探偵!ナイトスクープ』のチーフライターを務める傍ら、2006年に『永遠の0』を発表し、小説家デビュー。『永遠の0』『海賊とよばれた男』『夢を売る男』『フォルトゥナの瞳』などのベストセラーを連発。2015年には初の新書『大放言』も話題になった。
※週刊ポスト2016年1月15・22日号