【三宅義和・イーオン社長】最近は、グローバル人材の育成ということがいろんなところで叫ばれていまして、何となく言葉そのものが一人歩きをしている感じさえします。そこで、今回は、国際ビジネスの最前線でエリートとして活躍され、2010年にグローバルリーダーを育成する「igs」という教育ベンチャーを立ち上げた福原正大さんにグローバル人材の定義というよりは、日本人が世界と関わっていくなかで、どういったことを学んでいくべきかを伺いたいと思っています。
福原さんは慶應義塾大学を卒業されて、東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)に入行。企業留学生として、ヨーロッパの大学院でMBAと国際金融修士の資格をとられています。その後、世界最大の資産運用会社であるバークレイズ・グローバル・インベスターズで最年少の取締役になられた。まさに、グローバル人材の手本だったわけですけども、そうした仕事の厳しさとかプレッシャー、生活はどういったものだったのですか。夢のようだったのか、はたまた地獄であったのか。
【福原正大・igs代表】ある意味で、日本の銀行は規律を重んじる世界であったわけです。その象徴が稟議書に並ぶハンコの数です。それが、私には窮屈に感じられました。加えて、何か新しい提案をしても「前例がない」と却下されてしまう。あるとき直属の部長に、為替のオーバーレイ運用を提案したことがありました。すると「面白い」と、上層部に提出してくれたんです。
その後、半年ぐらいたっても全然音沙汰がない。8カ月もかかって出てきた答えが「これは採用にならなかった」でした。理由を聞いても、ごまかすわけです。はっきりとした理由がわからないわけです。たとえば1人でも役員会で反対すると却下されるそうなんですが、すごく違和感を持ちました。半面、バークレイズに行ったところ「お前がやりたいようにやっていい」と。さらにその稟議プロセスが、トップまで2ステップしかないわけですよ。こんなに自由度があるポジティブな社風を見て、天国のようなところだと思いました。日本企業に在籍していただけに、よけいにそう感じました。そして、好き勝手なことをやっていたら役員に登用されたわけです(笑)。
【三宅】でも同時に厳しさとかプレッシャーはありますよね。
【福原】外資ですから、厳しさはあります。しかし、結果を出せると思って仕事をしていれば、周りはサポートしてくれます。かつ、長期の案件については、3、4年ぐらいは何も言わないわけですよ。よくアメリカが短期志向だと批判されますが、それは間違いで、本当にコミットしたときは数年間任せきる。イノベーションを起こすためにはそれぐらいの期間が必要だということがわかっているからです。もちろん、短期の成果も問われます。
それと、バークレイズの場合は「投資は科学である」という明確なミッションがあって、投資を科学的にという考え方は徹底していました。企業としてやらなければいけないことは、大学の教授陣まで揃っていて明確なわけです。ミッションと日々の行動に落差がないわけですが、世界のトップに登り詰める企業っていうのは違いますね。
【三宅】勤務時間は長いのですか。
【福原】いや、もう自由です。最初に驚いたのは、朝の9時に出社したところ、優秀だと評価されている人間ほど、10時半ぐらいに眠たそうな顔をしてやってきます。しかも、5時ぐらいになったら帰る人もいる。「何だ、この会社は?」って思ったんですが、彼らは結果を出すわけです。見えないところで努力しているからでしょうね。そんな価値観は自分にもありましたし、その意味においてはとてもやりやすい。好きなことをやって、本当に幸せな生活でした。
【三宅】今回は最初から非常に刺激的なお話を聞かせてもらいありがとうございます。ところで福原さん、英語は小さいときから好きで得意だったのですか。また、どういうふうに英語の勉強はしていたのでしょうか。
【福原】ラッキーだったのは、幼稚園のときに、今でいうプレスクールみたいなところに週1、2回通っていました。そこに、小学校ぐらいまでずっと行きました。私は「英語が好きだ」と思ったことは1度もないんですが、そこに行くと、すごく美味しいチョコレートやクッキーと紅茶が出るわけですよ。あと、ハロウィーンになるとパーティーをしたり、イースターになると卵のお化けが出てきたり、そういうイベントが日本にないものだから楽しい。いつしか「外国っていいよな」との思いを持ちました。決してしゃべれるわけではなかったんです(笑)。
中学時代、英語が好きだったかというと、少なくとも他の科目より好きでした。やはり幼少での体験が生きていました。イーオンさんでも取り入れている子供を楽しませるやり方と同じではないでしょうか。子供は単純なもので、別に英語が楽しいと思うことは一瞬もないし、外人と話せることもすごいとは感じませんが、そういうイベントで楽しく続けられた気がします。とはいえ、学校の成績でいうと英語は決していいほうではありませんでした。
【三宅】やはり、海外に留学されたときに、苦労して身に付けられたんですか。
【福原】それこそ悪夢でしたね。
【三宅】異国に1人というのは大変です。福原さんは、どのように工夫して話せるように、自分の意見を述べられるようになったのでしょうか。
【福原】当時、東京銀行ではベータ(BETA)テストという英語4技能を測るものを使っていて、それなりの成績がとれていました。日常英語は何とかなるはずなんですが、フランスの欧州経営大学院(INSEAD)に行ったら、ほとんど通用しないわけです。教授の問いに対して、私には答えがわからないのに、みんなガーッと手を上げるんです。私は、日本的教育の影響で「答えは1つ」という思いが異常に強かったので、正解を答えようとして、瞬間にフリーズしてしまいました。
ところが議論を聞いていると、いきなり答えを出しているのではなく、生徒間で、いくつもの解答を出し合い、どんどん議論を積み上げていく。ただそこでも、アメリカ人がしゃべる英語を理解できないんです。同時に、英語が母国語ではない国、例えばインド人とか中国人が話す英語もわからない。
【三宅】それは聞き慣れてないからですか。
【福原】そうです。日本では、英語学校でも綺麗な英語をしゃべる人しかいないので、そんな発音でないと何を言っているのかさっぱりわからないわけですよ。議論に参加できなくて、本当に、最初の1年間は思い起こすのも悪夢という状態でした。
もう、生まれて初めて胃けいれんを起こしたのもそのときですし、成績も最悪。下位の2割が自動的に退学になるなのに、私はそのあたりをうろちょろしていたわけです。企業派遣で退学になったら「まずいな」と思って、何をやったかというと、自分がしゃべれないので、常に24時間、英語で考えようと。独り言も英語、歩いているときも英語で考え、誰かに話しかけられたら、日本語を全ての思考から消すということを必死に行って危機を切り抜けました。
【三宅】そういう話は非常に面白い。これから留学しようという人にも大いに参考になります。
【福原】たとえばTOEFLなら、社内の留学生試験を受けるための550点が必要でした。留学に行く最終選考までに610点を超えるのがターゲットでありました。私は初めて受けて460点ぐらいしかなくて、何度受けても530点を超えられなかった。最終チャンスまで2カ月しかないというところで、出た点数が526点で、あと24点というのが意外にきついわけです。
そのときに気が狂ったように、TOEFLゼミナールから出ている単語帳を丸暗記してみようと思い立ちました。もう、寝る時間は3時間ぐらいにして、全部空いている時間をそれに費やしたわけです。会社の昼休みも単語帳を手離さない。その結果、一気に570点まで上がったんです。その成功体験っていうのが大きくて「努力すれば英語って伸びるんだな」と実感しました。
だから、INSEADのケースでも「もうだめかもしれないけど、あのTOEFLで奇跡を起こしたから、もう1回奇跡が起こるかもしれないなっていう思いでがむしゃらにやれましたね。ですから、英語はもう気合いだって思います(笑)。
【三宅】私は「英語はスポーツ」だと言っています。
【福原】スポーツだと思います。
【三宅】筋トレですよね。
【福原】筋トレだと思います(笑)。
【三宅】今の話は英語学習者にとって非常に参考になります。英語を長くコツコツやるのがいいという考えもあるのですが、実はですね、英語力は何もやらないと落ちるだけなので、コツコツやるのはなんとか現状を維持するのが精一杯。人生のある時期、集中して勉強することが英語力を飛躍的に伸ばすことになります。
【福原】それはもう絶対的に賛成ですね。