<日本の難民1>「イモトに元気づけられた」 難民認定まで「7年」コンゴ人男性の苦悩 | ニコニコニュース

<日本の難民1>「イモトに元気づけられた」 難民認定まで「7年」コンゴ人男性の苦悩
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内戦がつづくシリアなどからヨーロッパに逃れてきた人が、昨年だけで100万人を超えるなど、「難民問題」が大きくクローズアップされている。難民と縁がないと思われがちな日本でも、難民に関するニュースは毎日のように報じられている。

難民をめぐっては、その受け入れを含めて、日本も国際社会から役割を果たすことが期待されている。だが、2014年に5000人が日本政府に難民申請をおこなったのに対して、認定されたのはたったの11人。ドイツなどの諸外国とくらべると、極めて少ない。NPOや弁護士などからは、認定のハードルが高く、審査に長期間かかっていることなどが批判されている。

生まれ育った国を離れて、はるばる海を渡って日本にやってきたが、難民認定制度の壁を超えられずに、立ちすくむ人々がいる。彼らは何を考え、どんな暮らしをしているのか。制度の課題はどこにあるのか。弁護士ドットコムニュースでは、全3回の連載企画として、日本における難民問題について考える。(取材・構成/山下真史)

●政治的迫害を受けたコンゴ人男性

昨年8月、注目すべき判決があった。あるコンゴ人男性が「難民不認定」の処分取り消しを求めていた裁判で、東京地裁は男性の言い分を認めて、国に難民認定を義務付ける判決を下したのだ。男性の代理人をつとめた神原元弁護士によると、このような判決が出ることは「非常にめずらしい」という。だが、男性が最初に難民申請してから7年という歳月が経っていた。

この男性の名前は、マッサンバ・マンガラさん。1975年にコンゴ民主共和国に生まれた。判決文によると、2002年に中学の教師になったマッサンバさんは、コンゴ政府と対立する地域政党「BDK」に入党。反政府活動で、2005年に逮捕・拘束された。その後のデモ行進で指導的な役割を果たし、2008年に検察当局から出頭命令を受けるなどして、身の危険を感じため、同年10月に日本に逃れてきたという。

マッサンバさんによると、日本にやって来た理由は「大使館でその日に入国ビザがとれたからだ」という。来日後、すぐに難民申請の手続きをおこなったが、2010年に「不認定処分」となった。さらに、異議申し立てをおこなったが、2012年に却下されたことから、2013年に裁判を起こした。

日本が加入している難民条約によると、難民は「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人とされている。

国連のレポートなどによると、BDKとコンゴ政府は死者を出すほどの衝突を繰り返しており、マッサンバさんが来日した2008年には、コンゴ政府がBDK支持者に対して、銃器を利用した迫害をおこなったとされる。神原弁護士は「同じくBDK党員だったマッサンバさんの父親は、治安当局から頭を殴られたのが原因で亡くなっている。マッサンバさんはまぎれもない正真正銘の難民だった」と話す。

どうして法務省は「不認定」としたのだろうか。法務省に取材したところ、「個別のケースについては答えられない」という回答だった。判決文などによると、国は、マッサンバさんの供述や証拠を信用できないと主張していた。一方、東京地裁はマッサンバさんの供述や証拠について「全体として信用するに足る」「真正な成立が認められる」という判断を下した。

●外出できず部屋に引きこもるような生活

現在、マッサンバさんは「東京スカイツリー」(東京・墨田区)にほど近いアパートで、質素な一人暮らしをしている。反政府デモに参加していた過去から気性の荒い人物像を描いていたが、記者が12月にアパート訪れた際、優しく出迎えてくれた。だが、その表情は少しやつれており、言葉数も少なかった。マッサンバさんは「やっと長い裁判が終わり、とても疲れている」と口にした。

マッサンバさんの来日以降、彼の生活や裁判を支援してきた市民団体「カラバオの会」(横浜市)の渡辺英俊さんは「彼は寡黙だけど、いつもにこやかで明るい印象がある。礼儀正しく、紳士的に人と接して、支援者たちの信頼を得てきた。付き合えば付き合うほど、彼は正直な人間だと感じるようになった」と話す。

難民申請が認められなかったマッサンバさんは「仮放免」となった。仮放免とは、強制送還または入管施設収容の対象であるが、一時的に拘束から免れていることを意味する。一応、日本にとどまることはできるが、就労のほかにも行動範囲が制限される不安定な立場だ。

幸いにも、同郷の友人の部屋に居候することができたが、支援者からのわずかなカンパだけでは、最低限の生活しかできない。マッサンバさんは「自分で生活費を稼ぐことができず、とてもつらかった」と振り返る。

外出するにもお金がかかるため、部屋に引きこもるような毎日だったという。「とても孤独でした。もしも、コンゴに強制送還されてしまったら、政府に殺されるおそれもありました。自分の今後がどうなるのかわからず、本当の意味で『自由』を享受できませんでした」(マッサンバさん)

そんな不安で苦しい日々を紛らわせたのは、日本のテレビ番組だった。「『世界の果てまでイッテQ!』(日本テレビ系)に出演しているイモト(アヤコ)が好きです。自分とは違って、世界中いろんなところに行ける彼女のことをうらやましいと思いながらも、何度か元気づけられました」と口元に笑みを浮かべた。

●難民認定をおこなう職員が足りない?

法務省によると、一次審査には平均約8カ月、不認定処分に異議申し立てすると、さらに平均約2年6カ月の期間を要する。マッサンバさんの場合、難民申請から認められるまで、7年という時間がかかった。生まれたばかりの子どもが、小学校に入学するくらいの長さだ。神原弁護士は「このうち4年間は完全に無駄だった」と指摘する。

マッサンバさんは難民申請から不認定処分が出るまでに約2年、その後の異議申し立てが却下されるまで、さらに約2年を要した。「この審査期間、法務省は何も調査していない。こちらからは資料を提出していたが、何の連絡もなかった。やっとインタビューに呼ばれたと思ったら、向こうは何もわかっていなくて、一から話を聞くようなありさまだった」(神原弁護士)

どうして、難民の審査に時間がかかっているのか。神原弁護士は、難民審査をおこなう法務省の職員(難民調査官)が、(1)足りていないこと、(2)質が低いこと、(3)入国管理業務と掛け持ちしていることなどをあげた。

難民認定をおこなっている法務省入国管理局によると、全国に難民調査官は130人ほどいる(2015年4月時点)。この人数では、難民申請数が増えている状況で、マッサンバさんのように難民認定を受けるべき人に対する審査に時間がかかったり、見過ごされる可能性があるのではないだろうか。

入国管理局難民認定室の津留補佐官は「調査官の人数が適正かどうかは答えられないが、難民に該当するかどうかの見極めには慎重な判断を要する。加えて、申請書の翻訳などでどうしても時間はかかる。迅速な認定のために、難民に該当する可能性が高い案件と明らかにそうでないものを振り分けて処理していく方針だ」と説明した。

●「仕事を通して人から認められたい」

コンゴではフランス語が公用語だ。マッサンバさんのアパートへの取材に同行した通訳によると、彼のフランス語はとても流暢だという。だが、日本に来てから仕事をすることもできず、人との接点が少なかったため、日本語はせいぜい日常会話レベルだ。

日本で難民認定を受けた外国人は、更新可能な定住者としての在留資格が与えられる。就労や移動の自由が認められ、さらに国民年金や健康保険など、日本人と同じ待遇を受けられるようになる。マッサンバサンは5年間の在留資格を得た。これから本格的に日本社会に入っていく。

マッサンバさんは今後について、「まだ具体的に決めていませんが、できれば日本でもフランス語を教えるなど、自分の能力を活かした仕事に就きたい。日本の文化や言葉に慣れて、人から認められたいと思います」と前向きだ。カラバオの会の渡辺さんも「葛藤はあるかもしれませんが、彼なら十分に乗り越えられるでしょう」と話す。

マッサンバさんは今年から、外務省から委託を受けた「難民事業本部」による日本語教育プログラムを受ける。難民として認められたことで、就労もできるようになったが、昨年12月にはまだ働いていなかった。「今は一息ついているところです。日本語の勉強が始まったら、少しずつ仕事を探していくつもりです」と話していた。

(弁護士ドットコムニュース)