第154回直木三十五賞(以下、直木賞 )に決まった青山文平さんが19日、東京都内のホテルで行われた受賞会見に出席した。「つまをめとらば」(文藝春秋)で受賞を決めた青山文平さんは「これほどかけがえのない重い賞はない」と喜びを語った。会見のおもな一問一答は以下の通り。
−−まず一言。
一言では語れないけれど、語るとすれば当然うれしい。「つまをめとらば」という本で選んでいただいたのが非常にうれしい。
−−史上2番めの高齢。直木賞を受けた感想と、67歳からどう書いていきたいか。
スポーツ選手もそうだけれど、「常にレベルアップしよう。自分は今より絶対いい選手になりたい」と、そういうモチベーションがあるから続けられる。小説も同じで、常に今よりいいものを書きたい、そういう気持ちがなければ、小説書くのはしんどい作業なので、とても続けてられない。なので67という年齢は、「そんなことに気にしてられない」ということですね。
−−講評では、哲学的な嗜好の強い方なんじゃないかという印象を持っているといわれたが。時代小説と割り切って書いていてもそういう評価を受けたことの感想は。
純文学は40代前半で書いていて、それから10年やって、10年やめて。ずっと純文学をやっていたから、エンターテインメントはどう書けばいいのか考えた時期もあった。例えば時代小説だから、健気な女、つくす女、そういうのを読みたいというニーズがあればそれに応えるのがエンターテインメントなのかな、と。でも、今はそういうことを全然考えていない。それが「つまをめとらば」だと思う。純文学とかエンターテイメントとかそういうことを考えていないんです。
今考えているのは、言葉でいえば「銀色のアジ」を書きたい(ということ)。二つの意味があり、まずアジは、大衆魚と言われている。私は時代小説といっても18世紀後半から19世紀前半の書き手で、戦国と幕末は抜けているわけだけれど、それはアジ(大衆魚)を書きたいから。あまり有名人には興味がない。信長とか秀吉とかにはあまり興味がない。もう一つ、「銀色」について。10年ぐらい前に「生命原色」という言葉が話題になったことがある。アジが青魚といわれるのは、死んだ状態だから。水族館で泳いでいるのは銀色。だから、銀色のアジを書きたい、というのは生きている色を書きたい、ということなんです。青魚というのは死んだ世界。本当は銀色なのに。で、生命原色を表現するのに、小説というのは素晴らしい手段。私は今、生きていたからこそ出る色、そういう「銀色のアジ」を書きたい。迷いがなくなった。レベルはともかく、書けたんじゃないかと思ったのがこの「つまをめとらば」なんです。
−−直木賞を受賞。人気作家への登竜門だと思うが。
67歳ですから、喜びは候補に選んでいただいた(ときの)ほうが(大きい)。候補に入って「ああ、これで3年食える」と思った。直木賞、芥川賞というのは、無名の書き手にとって、これほどかけがえのない重い賞はない。これまで一番少なかったのは初版3500部。お金のこともさることながら、3500部というのは郊外の書店には並ばない部数。だから皆さんに見ていただける、店頭に(本を)並ばせる賞はこれ(直木賞)のみと理解している。すべての書店の店頭に並ばせる賞はこれのみで、書き手にとってはこんなにありがたい、かけがいのない賞はないと理解している。
−−3、4年前に大病をした。覚悟が必要だと言っていたが。
2011年に松本清張賞の翌年に大腸がんになった。経過は問題なく来ているんだけれど。今はあまり意識していない。体調がいいから。ただ、そういうとき、当然がんだから死ぬことを考える。そういう見切りですよね。がんで死ぬかもしない、じゃあどういうふうに向き合うんだという見切り。そういう見切りをする上で、文芸は非常にいいものだと思う。どういうふうに手術と向き合うのかとか、そういうことを考えるときに自分の精神世界を築くのは文芸ジャンルだと思う。
−−奥様には受賞は報告したのか。
当然夫の義務ですからね。でもうちの奥さんはあまりそういう……。「私のことではない、あんたのことだ」と(笑い)。
−−奥様は読まれているのか。
一切読みません。だから今回も読んでない。(奥さんとの関係性は)影響しないわけがない。価値観が違うものが一緒に何十年と暮らすわけだから、ものすごく影響を受ける。でも「つまをめとらば」に関しては、プライベートなことを意識して反映させたわけではない。
−−英雄を書かない、大きな動乱を描かないのはどうしてか。
「銀色のアジ」を書きたいから。「我々」を書きたいから。よく時代小説というと、ダイナミック感とかスケール感とかいわれて。戦国だとまさにスケール感だと思う。自分は小説の書き手だから、ああダイナミック感ですか、スケール感ですかとはいかない。ダイナミック感、スケール感とは何かを考えないといけない。日本史というのは、世界史から見れば辺境史。そういう視点でいえば、はじめからスケール感もダイナミック感もない。そういうものに興味は引かれない。でも人間の個人の暮らしの中には、スケール感、ダイナミック感があると思う。日常の中に、普通の人間の何気ない暮らしの中にスケール感、ダイナミック感があるはず。我々の中のスケール感を書いた方が遥かに「銀色」になると思っている。
−−それが18世紀後半から19世紀になる理由は。
そこが江戸時代で一番成熟した時代だから。成熟した時代というのは、キーワードがない時代。18世紀後半から19世紀前半はキーワードがない時代。お手本がないから、自分で考えなきゃいけない。だから個人個人が出てくる。真似することができないから。