『魔女の宅急便』は、ぼくにとって「キキちゃんめっちゃかわいい映画」だった。
金曜ロードSHOW!の紹介ページには「誰もが共感できる成長物語」と書かれている。
とはいえ、彼女は幸せものだった。
「すごくみんなにかわいがられているでしょう。まわりはみんないい人だし、悩んでいても『どうしたの』ってまわりが聞いてくれる。自分からはたよろうと思ってなくても状況のほうが手をさしのべてくれる(中略)キキが明るくて素直ないい子だからだと思うのですが、現実はそんなに甘くないぞって(笑)。もっとも、でも主人公がボロボロにたたきのめされる映画だったら、見たくはありませんけどね」
キキは街中のみんなに愛される女の子になった。
元々、この映画は宮崎駿が監督をする予定ではなかった。
宮崎駿「いまの若い人が何を考えているのか、どういう作品作りをしたいのか、いまひとつぼくには理解できない」「今回はプロデューサーだけのつもりでしたが、シナリオまでやりましょう」
気がつけば、プロデューサー、監督、脚本、絵コンテ、全部宮崎駿がやることに。
・キキが奥様からケーキをプレゼントされるシーンで終わる。
後者は宮崎駿発案。スタッフは、前者がいいのではないか?と意見を出した。
鈴木敏夫「監督が宮さんじゃなかったら、僕も飛行船のシーンはないほうがいいと思う。でも宮さんがやるなら、必ずおもしろいシーンになるはず。しんみり終わる映画もあっていいけれど、娯楽映画というのは、やっぱり最後に”映画を見た”という満足感が必要なんじゃないか。そのためには、ラストに派手なシーンがあったほうがいい」
飛行船のシーンを入れることが決定。
「上がってきたコンテを見て眼を見張る。『これはモブじゃないか……』(中略)『ちょっとマテよ』モブ(群衆)シーンの連続なのだ。3月21日絵コンテ完成。手、足先がスーッと冷たくなるのを感じた」
作監たちにしてみたら、全くやさしさに包まれていない現場だった。
「時代の要請があった時、鈴木敏夫というプロデューサーの独特の勘があって言わば宮さんを論破して作った映画です。宮さんにしてはサービスが過剰で、破綻していると思います。あの後落ち込んだんじゃないでしょうか」
当時「キネマ旬報」で「いい映画だったが、ケーキのシーンで終わっていたら、もっと名作なっていただろう」と書かれたことがある。
宮崎駿「もっとユーモアに昇華できれば良かったのですけどね。そういうのを描くことがアニメとしていいかどうかという問題もあるだろうし……。でも、たまにはこういう小さなスケールの、日常的な話をじっくり作ってみるのもいいだろうということでやってみたんです。これ一本でもう十分だなと思いましたけどね(笑)」
宮崎駿は、飛行船のシーンをいれても、まだなにか足りない、と感じていたようだ。
本編は観客の「共感したい」という需要に、しっかり答えた。
見たいのは、やさしい世界。たまに落ち込みながらも、元気に飛び回る少女の爽快感。
飛行船のシーンで、みんなから愛された(苦手だった同年代の女の子からも)のは、豪華すぎるおまけ。
ただ、彼女が「みんなに愛されるかわいいアイドル」的少女像から脱却しきれなかったのは、宮崎駿の大きな課題になる。
「キキ、十三歳。微妙な年齢だ。宮崎駿が少女フェチなのは知っていたが、なぜこの年齢にしたのだろう?(中略)少女の身体に性の匂いがまとわりつく。乳房がふくらみ、からだがまあるくなる。キキも例外ではない。(中略)作品が性の匂いをいくら消そうとしても、おのずと匂い出てしまう」
「『魔女の宅急便』のときは、テーマと格闘して普遍的な映画を作るっていうことよりも、なにかこう、ある時期までの子供たちが持っている夢ですよね、感情移入できるけれども、でもやっぱり夢だったっていうね」(2013年「風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡」)
宮崎駿が、自らの男女観・歴史観・現実と対峙するようになるのは、引退作『風立ちぬ』でのお話。