親が夢に描いていることを我が子に託すのは親の愛情です。でも、子どもは親の所有物ではありません。
「親はやはり“厳しく”あるべき」複数の調査データから明らかな事
まだ言葉を喋ることのできない赤ちゃんは心の中で「私はあなたの夢を叶えるためにこの世に生まれてきたのではない」と叫んでいるかもしれません。我が子の人生にどこまで介入していいのでしょうか。
今日は“一人で出来る子が育つテキトー母さん”の著者の立石美津子がいくつかの例でお話ししたいと思います。
子どもへの“親の期待”託し方4パターン
1. 自分を越す期待をかける
・私はアイドルになりたかった。でも歌も踊りもうまくない。だから、娘にいちるの望み託している
・俺が勉強が出来ずに希望の大学に進めなかった。息子には小さいうちからしっかりと勉強をさせて弁護士か医師になってほしい
・俺は運動神経が鈍く野球選手にもサッカー選手にもなれなかった。息子には出来ればメジャーデビューしてほしい
こんなこと言ってしまっては親の立つ瀬がないのですが“あなたの子ども“なのです。
もちろん、人間は環境により才能を開花させるていくこともできますが、遺伝の影響を免れることも出来ません。素質がないのに子どもに大きなリュックを背負わせるのは荷が重いのではないでしょうか。
2. 心配がゆえに禁止する
娘をアイドル歌手にしようとステージママに徹している人と逆のケース。田舎に住んでいる家族の光景です。娘がアイドルに憧れて「上京してアイドルになりたい」と言い出しました。しかしまだ10代の子どもです。
「可愛い娘を手元に置いておきたい」
“娘のためを思って…”の言葉です。どれも親の当然の気持ち、わからないではないです。
もし、挫折して傷ついたら「いつでも実家へ戻っておいで」とオアシスを用意しておけばいいんです。夢を禁止すると子どもは親を恨んだり、いつまでも引きずったりすることになるかもしれません。
良かれと思ってやりがちな事、その結果…
3. (自分のような)苦労をさせたくない
・夫に学歴がない。だから立派な会社に就職できず貧乏で経済的に苦しい思いをしている。子どもにだけはいい学校に入ってしっかりとした学歴を付けてほしい
・私は出産を機に仕事を辞めてしまって、今は何の取り柄もない主婦。娘にだけは何か資格を取って手に職を付けて自立したキラキラした女性に育ってほしい。
子どもには幸せになってほしいと願う気持ちが高じて、子どもには同じ道を通ってほしくないと無理強いしているケースです。
4. 家業を継がせたい・同じ道を歩ませたい
古典芸能一家など名家に生まれた子、家柄が素晴らしく将来が保証されている家元だったり、歌舞伎役者などの梨園だったり、両親とも俳優だったり…
食べることに苦労しない人生が最初から用意されていて普通は望んでも手に入らない環境です。一般ピープルから見るとなんだかとっても羨ましいです。
けれども、お腹にいるときから道は決められています。又、親がビックだと普通にやっているだけでは“親の七光り”と言われてしまうので更に努力し、親を超える大物にならなくてはなりません。
しかし、当人はこれはこれで大変なことも多いわけで幼い頃から相当の努力をしなくてはなりません。「アメリカに移住してそこで新しい会社を興したい」と望んでもそれは出来ない訳です。自由に人生を切り開けない名家に生まれた子ども達が果たして幸せかどうかはわかりませんね。
期待を掛けすぎた結果、どうなるか
周囲からのプレッシャーの果てに起きた悲劇の事件
極端な例ですが、10年ほど前にある家庭で起こった残虐な事件を覚えていますか?
両親ともに歯科医開業、祖父母も歯科医、長男は歯学部に通う親の期待に応える跡継ぎ、けれども犯人となる弟は歯学部へ合格できず三浪。被害者となる妹はこの家族の中にあり唯一、短期大学に通いアイドルを目指して芸能活動中。そんなある日、妹から「あんたには夢がない」と言われたことが動機となり非常に残酷な犯行に至ったことがショッキングな事件として報道されました。
“親が持つ権利”とは?
子どもの夢に対して“親が持つ権利”
でも、親は医者になってほしいと思っていたけれども子どもが「カフェを経営してみたい」「ペットショップに勤めたい」と言ったとき反対するのはどうなのでしょう。
期待が大きくそれに見合った能力があった場合、ガックリしてしまうのは当然です。
けれども、子どもの人生です。親が反対する権利はありません。
子どもの人生、自由に職業選択をすることが許されず親にコントロールされる人生は果たして幸せなのでしょうか。
決められたレールを引いて何が何でもそこを通らなくてはならないとするのは一見“子どもの幸せを願っている”ようには見えますが、それは親だけの幸せや希望だったりします。
親が子の未来のためにするべきこと
可能性を伸ばすために色んな力を付けてやりましょう。
・音楽の才能を伸ばすためにピアノやバイオリンを習う
・ダンスや歌を習わせリズム感や音感を育てる
・学力の基礎を付ける
・運動能力を高め、体力をつける
これらの環境を与えることはとてもよいことです。小さいときはどんなことでも吸収していくスポンジのようなものですからどんどん伸びていくこともあります。
けれども、たいていの人は10代後半になり「○○になりたいな」と思っても自分の才能がそこに至っておらず「これは無理、あれも無理」と消去法で進路を選ぶしかしかない訳です。
そこで、学力も知恵もあり音楽の才能もあり、音楽家でも医師でも弁護士でも運動選手でも選び放題好きな職業に就ける能力があるなんて、そこまで育ててくれた親に感謝しなくてはなりません。
でも、将来、子どもがどんな職業に就きたくなるかは未知です。いろんな選択ができるように様々なことを習い事をさせ肥料だけせっせこやっているだけで十分です。でも、何になるかは子どもの自由です。
“ピアニストにしたくて小さい頃から音楽を習わせていた。けれども美容師になりたいと言い出した”“野球選手にしたくてずっと野球をやらせていた。けれどもソムリエになりたいと言い出した”、いいじゃあないですか。
もし、将来、親の希望通りにならなくても黙って応援してやるのが愛情だと思うのですが皆さんはどう思いますか。