楔に秘められた叡智は想像以上でした…。
遥か昔、望遠鏡が生まれる1,000年以上も前に古代バビロニア人はシンプルな算術で天体の運行を求めていましたが、このほど翻訳された楔形文字で、なんとヨーロッパ人より1,400年も前に微積分の基礎となる高度な算法まで使いこなしていたことがわかりました!
古代バビロニア人は高度に発達した数理天文学をもち、それを数百枚の粘土板に残したことで知られます。そのうち木星に関する未解読の石板があったので、ベルリンのフンボルト大学のマシュー・オッセンドライバー(Matthieu Ossendrijver)古代科学史教授が訳してみたら、なんと木星の運行を幾何学の算術で求めていたんです。これは俗に言う台形法。近代微積分学発達の基礎とされ、従来は中世ヨーロッパで14世紀に登場したのが最初と思われていたものなんですってよ?
Scienceに論文を発表したオッセンドライバー教授は、米Gizmodoからの取材にこう語っています。
---------------------------------------教授が訳した楔型文字は、19世紀にイラクで発掘された数千枚もの粘土板の破片の一部です。このコレクションは20世紀に翻訳が進み、紀元前400年頃に黄道十二宮が生まれたところから高度な天文学が発達した歴史の解明にもなった資料。
バビロニア天文学絶頂期の主神マルドゥク。天神としては木星をさす(ルーブル美術館所蔵)
バビロニアの天文学者は聖職者も兼ねており、天候、穀物の相場、川の水位など地上の森羅万象はすべて星の巡りに司られていると信じていました。そして地を統べる天の中でも絶大な力をもつのがマルドゥク。バビロンの主神です。マルドゥクは12年かけて黄道をめぐる木星の神でもありました。
論文によると、これまでに見つかったバビロニア天文学の石板のうち、惑星の運行と月の位置のデータを縦横区切りの表計算に書き込んだものは約340枚、天体の位置を求める算術(加減乗)を文章で書き記したものは110枚あるんだそうです。
そのうち教授が注目したのは、木星の位置について書かれた4枚の石板のコレクションで、曲線の下の面積を求める算術の一部と思しいものが残っているものです。文章はところどころしか残っていなかったため、その天文学的重要性には誰も気づかぬまま、「ただ無視されて」(教授)、1881年から大英博物館で埃を被っていたのを2014年、教授が発見しました。
バビロニア古文書の破片(左)。黄道面を通る木星の変位を、時間-速度の曲線の下の面積で示していた(右)。(c)マシュー・オッセンドライバー教授
新たに解読した「Text A」には、黄道面(1年かけて太陽が天を巡る通り道。木星はここを常にうろついている)を通る木星の変位の求め方が書かれていたのですが、バビロン人はX軸に時間、Y軸に木星の速度を関数で示し、時間-速度の曲線の下にできる台形の面積で木星の移動距離を求めていたのです。なんて高度!
---------------------------------------あいにくこの台形法はバビロニアの天文学者の間でもあんまり人気じゃなかったようです。そのことから教授はバビロニア文明の滅亡とともにこの算術も途絶えて長い時間の空白に埋もれ、「ヨーロッパはヨーロッパで独自に発達させたのではないか」と見ていますよ。ちなみに古代バビロニア語が使われていたのは紀元後100年頃まで。
「世界中の博物館にはまだ何千片もの石板が眠っている。ひっくり返したら本当に何が出てくるかわからないよ?」と教授は興奮を隠せない様子。「これも科学の歴史だね。後世に残された遺産を守る重要性を見直すきっかけになれば何よりだ」と話しています。
top image: 新たに翻訳された「Text A」- Science via Mathieu Ossendrijver
source: Science
Maddie Stone - Gizmodo US[原文]
(satomi)