昨年末、中国・南京に慰安婦関連の新たな博物館がオープンした。当時、同地にあった旧日本軍の慰安所を再現したものだという。中国国内で慰安婦問題はどのように捉えられているのか? 小誌で、精力的に中国ルポを発表するノンフィクションライター・安田峰俊氏が現地を訪れた。
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「中国は平和を愛する国家だ。平和のために歴史を鑑とし、未来に向かうために民間で活動をおこなっている」
昨年12月28日、南京市内でそう語ったのは、現地の中国共産党員・梁心流氏だ。1990年代後半、彼の義母(故人)の親族9人が南京大虐殺の犠牲者であると判明。国有企業を退職後、慰安婦写真集の出版歴もあるフォトグラファーの李暁方氏とともに、旧日本軍による虐殺の被害者遺族や元慰安婦への聞き取り作業を「民間」で進めているという。
もっとも中国において、この手の分野の「民間」活動はほぼ存在しない。梁氏の義母らの記録は南京大虐殺記念館におさめられ、地元の党機関紙でもしばしば取り上げられてきた。また、梁氏は市内の別の抗日博物館とも太いパイプを持つ。
「南京大虐殺と同様の歴史的な人道問題として、より近年に発生した文化大革命や天安門事件をどう考えますか?」
私がそう尋ねてみると、「語るべきではない問題だ」と即答された。こちらの「歴史問題」については、興味の対象から外れているようである。
「平和のために歴史を鑑とし、未来に向かうことが重要です」
同日夜、郊外の湯山鎮にある質素な自宅で、梁氏とまったく同じ言葉を述べたのは、彼に紹介された慰安婦遺族・唐家国氏だ。現在58歳の唐氏は少年期の文革の影響か、漢字をほとんど書けず、標準中国語も話せない。朴訥な印象の人物が抽象的な政治スローガンを唱える様子は、どこか不自然な印象を感じさせた。
唐氏の養母の雷桂英氏(故人)は1928年生まれ。童養シィ(シィは女偏に息)(*注)にされていた村から逃げて南京市内にいた12歳のころ、ある中国人の仲介で、慰安所経営者の日本人に家政婦として雇われた。
【(※注)旧時代の中国で、裕福な家庭の息子の許嫁として買い取られた幼女のこと。実質的には家内奴隷のような立場に置かれる例も多かった】
「慰安婦にされる以前も、鬼子(日本兵)が強引に彼女の身体を求め、拒否したことで太腿を刃物で刺されたと話していました」(唐氏)
やがて彼女が15歳となった1943年、無理やり慰安婦にされた。慰安所では朝鮮人や中国人ら十数人の女性が「性奴隷」にされていたという。
雷氏が過去を語ったのは、逝去前年の2006年。ちなみに当時の新華社の報道によれば、彼女は9歳の頃から村で複数の日本兵による5度の蹂躙を受けたとされるが、なぜか唐氏はこの衝撃的な話について一切言及しなかった。
もっともこんな証言もある。
「日本兵には良い人間もいたと言っていました。一番印象が悪かったのは朝鮮人の軍属で、彼女の目の前で捕虜を殺害するなど目に余る振る舞いが多かったそうです」(唐氏)
後述のように、現在の習政権は歴史問題の分野で韓国との共闘を志向している。そんな「同盟国」への不都合な証言が出る点から考えると、彼女の回想には何がしかの真実が含まれているのだろう。
「当時、多くの新聞やCCTV(中国国営放送)の取材を受けましたが、お金はもらっていません。村の付近には6人の元慰安婦がいましたが、すべて故人です。他の遺族との交流もありません」(唐氏)
唐氏の暮らし向きを観察するに、こちらも事実だろう。ちなみに彼の養母の経歴は、件の陳列館で顔写真とともに大々的に紹介されているが、やはり金銭的な見返りはないそうである。
「現在の中国でも、過去の慰安婦と同様に貧しい家庭の少女が売春施設に売られたり、地元政府関係者や教師に性的暴行を受ける事例が後を絶ちません。こちらの人権問題はどう思いますか?」
取材後、活動家の梁氏に再び尋ねてみると、やはり彼は「それらは別の問題だ」と語るのみで口をつぐんだ。
【プロフィール】安田峰俊(やすだみねとし):1982年、滋賀県生まれ。立命館大学文学部(東洋史学)卒業後、広島大学大学院文学研究科修士課程修了。在学中、中国広東省の深セン大学に交換留学。主な著書に『知中論』『境界の民』など。公式ツイッターアカウントは「@YSD0118」。
※SAPIO2016年3月号