さる1月22日に、千葉商科大学の学生が、キャンパスの路上でこたつを出し、鍋を行ったことが話題となっている。
大学のオフィシャルウェブによれば、今回の路上鍋企画は「現代における大学の意義」をテーマとした社会実験であるという。なんとも小難しいテーマだが、学生間、学部間、学生と教職員間など大学内に存在する、見えない「壁」を取り払い、居場所への違和感や、孤立感を抱える現代の大学生の悩みに向き合う目的があるようだ。「とりあえず鍋でも囲んであれこれ語ろうか」ということだろうか。
これを受け一部のネット上の反応として「昔、法政の貧乏くささを守る会がやっていたことと一緒じゃん」といった意見が見られた。
「法政の貧乏くささを守る会」は、1996年に法政大学で結成された団体(サークル)であり、2000年代初頭まで活動した。当時、法政大学は校舎の建て替えや学費値上げなどが進んでいた。その中で、学内から消えつつあった“貧乏くささを守る”ために、学内でさまざまなゲリラ闘争が繰り広げられた。
その活動のひとつとしてキャンパスを解放区とすべく、畳とコタツを持ち込み、鍋をつつきながら夜通し酒を飲んで語り合う“コタツ闘争”(鍋闘争)が行われたのだ。だが、千葉商科大学の路上鍋は、授業の一貫として行われたものであり、無許可で行っていた法政大学の闘争と方向性は異なる。
それでも、20年の時を経て、大学空間に“コタツと鍋”が登場したことは驚きだ。この現象について「法政の貧乏くささを守る会」の立ち上げ人のひとりであり、中心的人物であった松本哉(まつもと・はじめ)さんに話を訊きに行った。
松本さんは法政大学を卒業後「貧乏人大反乱集団」と銘打ち、都内各地の路上でも突発的に鍋集会を行い、交流を広めていた。現在は、高円寺でリサイクルショップ「素人の乱5号店」のほか、ゲストハウス、飲み屋を経営する。まず今回の現象をどう思うか、――話はそこから始まった。
「大学内で鍋をやるっていっても目的が違うよね。今回のケースは交流を深めるとかそういう感じでしょ。自分たちがやっていたのは秩序の破壊だから。目的の7割が秩序の破壊、あとの3割くらいが面白い人と交流できればいいと思っていたからね。
予定調和をぶち壊しにするようなものをやったなら親近感が湧くんだけどね。でも、鍋はいいよね。これがバーベキューだったら個別の食事になるじゃない。だけど、鍋っていうのはその周りをみんなで囲むから輪ができる。そこから自然と対話が生まれるからね」(松本さん)
現在も残る「法政の貧乏くささを守る会」のウェブサイトの冒頭をかざるのは「貧民日報」のロゴ。さらに「酒を飲みコタツを出して何が悪い!! 弾圧を撃ち破って更に大暴れするぞ!!」なる勇ましいスローガンが掲げられている。彼らが目指していたものはまさに秩序の破壊そのものだろう。「貧民日報」は中国共産党の機関紙である「人民日報」のもじりである。「法政の貧乏くささを守る会」は、往年の左翼的な学生運動のパロディ(もしくは最終的な進化もしくは退化の形)として登場したとも言える。そこからさらに20年を経た今、あらわになるのは大学という空間の変容だろう。
「大学は変わったよね。今は昔と比べて、ゲリラ的に何かをやるってことは難しくなってきているしリスクもある。でも、その中で普通の人と違うことをやるのは大事なことだよね。キャンパスの路上鍋も、あちこちで100回くらいやれば、101回目からは無許可でもよくなったりするじゃない。今後、混沌とした状況になっていくのを期待しているよ」(松本さん)
かつて、松本さんが繰り広げていた数々の“闘争”は、人と人のめぐあいが、得も言われぬ魅力を生み出していた。ゆえに、彼のまわりには法大生ばかりではなく、他大生(私もそのひとりだ)や、職業年齢不詳のさまざまな人間が集うことになった。
かつて大学内で好き勝手に行われていた行為が、カリキュラムの中から出現するのはなんとも皮肉な現象ではある。だが、今回の試みが単なるパフォーマンスにとどまらず、無機質な大学空間が変わる契機となることを願いたい。
(王城つぐ/メディア文化史研究)
画像:現在の松本哉さん