20周年を迎えた『ポケットモンスター』シリーズ。その初代作品となった『ポケットモンスター 赤・緑』は1996年2月27日に発売され、それまでのゲームには見られなかった、通信ケーブルを使ってポケモンを交換するという遊びで子供たちを魅了し、口コミからの一大ブームを巻き起こしました。それは一過性のブームでは終わらず、世界に飛び出し、ゲーム以外にも広がり、そしてゲームも新作が登場する度に進化を遂げ、新たなユーザーを巻き込みながら、世代を超えてユーザーに愛される存在となっています。
【大きい画像を見る】ポケモンが現実世界と仮想世界を繋いでいく、20年目の挑戦・・・株式会社ポケモン代表取締役社長・石原恒和氏インタビュー
今日は『ポケットモンスター』シリーズにとって通過点でしかありませんが、この20年の歩みは多くの影響を与えてきました。微力ながらポケモンを追ってきたインサイドは16年目を迎えていますが、小学生の頃、『ポケモン 緑』を買ってドハマりした筆者(編集長ですが)の体験が無ければ違うものになっていたかもしれません。ゲームの楽しさを知った人も居るでしょう。ゲーム作りの道に進んだ人もいるかもしれません。あるいは生物学の道に進んだ人、集めることの楽しさを知った人も居るかもしれません。
そんな『ポケットモンスター』はどう生まれて、成長し、次は何を目指すのか。その誕生からプロデューサーとして携わり、現在は『ポケットモンスター』シリーズをプロデュースする株式会社ポケモン代表取締役社長CEOを務める石原恒和氏にお話を聞きました。(聞き手: ゲームジャーナリスト平林久和、インサイド編集長 土本学)
石原恒和(いしはら つねかず)
ゲームの未来を実現した『ポケットモンスター』
―――20周年おめでとうございます。まずは率直な感想を聞かせてもらえますか?
石原: 『ポケットモンスター 赤・緑』は1996年に発売されたゲームですが、実際の開発は90年頃からスタートしていますので、そこから数えると26年、四半世紀を超えますが、ずっとこの仕事をやることになるとは思わなかったというのが素直な感想です。自分の人生の中でも、一番濃厚な時間をポケモンに注いできたと思っていますし、これをやりたい、あれを実現したい、という事が尽きない幸せな時間でした。自分がどこまで貢献できたか分かりませんが、ポケモンがこれだけ長く皆さんの評価を得続ける事が出来たというのは有難いですし、本当に嬉しいですね。
1996年2月27日に発売された『ポケットモンスター 赤・緑』すべてはここからはじまった
―――ポケモンとの出会いを伺いたいのですが、最初に企画書を見たのは糸井重里さんのエイプにいらっしゃった頃だと聞きました。どんな印象だったのですか?
ええ、そうです。その企画の前提としてゲームボーイがもたらしたものについて少し触れておきたいです。任天堂が1989年に発売したゲームボーイは、ソニーのウォークマンが音楽を持ち歩けるようにしたのと同様に、ゲームを外に持ち運ぶ事を可能にしました。デザインは当時としては洗練されていて、性能はモノクロ3階調、2ビット、液晶のレイテンシーも遅いのですが、通信ケーブルという発明が合わさった『テトリス』は本当に熱く、ゲームの未来はここにあると多くの人が興奮しました。(ポケモンを作った)ゲームフリークの皆さんもその中に含まれていました。
田尻さん(※)の提案も、ゲームボーイというハードを使ってこんな新しい遊びが実現できるんじゃないか、というものでした。具体的には『テトリス』が対戦に使った通信ケーブルを、ポケモンの交換というデータ通信のために使うという提案でした。企画として荒削りな所もあって、技術的な検証もできていないものでしたが、これが実現できれば今までとは全く違う遊びができるんじゃないかという印象はありましたね。
(※)田尻智氏
―――なるほど。『ポケットモンスター』の企画で、よく使われるのは「閉じていないゲーム」という表現です。これはどういう意図で生み出されたものなのでしょうか?
物語を伝える装置としてのロールプレイングゲーム(RPG)は、ゲームプレイと共に物語が進行して、何十時間か遊ぶとエンディングを迎え、スタッフロールが流れて完結するわけです。ただ、『ポケットモンスター』の場合はRPGの仕組みを基本的には利用していますが、目指すところは物語を伝えることじゃなくて、通信で交換や対戦を楽しんで貰うことだったんです。なので、スタッフロールを見て終わり、じゃなくて「あれまだ100匹しかいないんだけど・・・?」となる必要があったんですね。なので、パッケージとしてエンディングで完結しない、という意図がありました。
もちろんRPGとしての完成度は高くて、チャンピオンを目指す楽しさは当然あるのですが、ゲームフリークが注力していたのは、もっと交換するのが面白くなるにはどうしたらいいのか、交換でケーブルを通る時に進化するアイデアはどうだろう、里親に預けたら鍛えられた方が面白いので経験値を多めにしよう、というような楽しい仕組みを作ることでした。この仕組みを楽しんでもらうために、何度も繰り返しエンディングを迎えても快適になっていきました。
―――通信が中心にあって、それを意味付けするような形でゲームが組み立てられている
そうですね。交換する意味や価値が無くてはいけませんからね。例えば、レベル50のリザードンを持っている人と、レベル15のコラッタを持っている人がいる。その交換は、普通は成り立たないのですが、どうしてもコラッタが見つからなくて図鑑を埋めたい人なら交換するかもしれない。じゃあ、ポケモンにふしぎなアメを付けて等価交換に持ち込む、だと意味は無いと思うんです。双方がゼロサムではない仕組みを作りたい、どうすれば作れるかというアイデアはゲームフリークが一番考えたポイントだと思います。
―――交換がユーザーにとって一番楽しいポイントになるはずだという確信はあったのですか?
いや、確信はもてませんでした。それでも信じて、それを楽しんで貰う仕掛けは導入していました。上手くいった実感があったのは、2月にゲームを発売して、5月頃から通信ケーブルが品切れになったくらいからですね。任天堂がいくら生産しても追い付かない。何のために買ってるかというと、それがポケモンの交換だというんです。通信ケーブルが市場から消えて、ゲーム自体の成功も実感できましたし、皆が熱中する遊びの中核が交換にあったというのも分かりました。
―――ポケモン熱が世間でじわじわ高まってくというのは私もリアルタイムで見ていて実感できました
ゲームボーイは「電子玩具」という言葉で片付けるには少し高度なところがあって、それでいて任天堂らしいおもちゃっぽさも兼ね備えていたように思います。そこに通信ケーブルという不思議な存在があって、その中をポケモンが行き来する。これを沢山の人が興味を持って深く研究してくれたんです。途中で抜くと消えたり、特殊な増殖ができたり、どうこうするとミュウが出現するとか、開発者が意図してない不思議な現象が色々と起こって、それが都市伝説的に広がって、ゲームボーイというハード自体も含めて楽しんで貰えた。もちろん『ポケットモンスター』がそれ自体、面白いという事はありながら、それを媒介にしての楽しさも見出してもらった。そうしてプログラマーになった人もいれば、ゲームメディアを作った人もいる。それが、『ポケットモンスター 赤・緑』が生み出した熱量だったのかなと思います。
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クリエイティブで壁を超えた海外展開
―――ポケモンは海外でも例外的にヒットした作品ではないでしょうか。テキストを読ませるゲームで、ヒットした例は皆無と言っても過言ではないと思います。
海外版は山内さんの鶴の一声でスタートしたんです。無論、アメリカでは厳しいよねという空気があるところにです。僕と岩田さんとで、「山内さんがやれというならやるしかないよね」と言って。でも当時、ゲームフリークは続編の『ポケモン 金・銀』で精一杯だったので、岩田さんにエンジニアリングの部分はお任せしたんです。彼の凄いところは「ゲームフリークさんは『ポケモン 金・銀』に専念してください。『ポケモン 赤・緑』は仕様や構造を一切聞かずにローカライズします」と言うわけです。もちろんクリエイティブ面ではポケモンや町や技の名前など新しいものが沢山必要でしたけどね。
※山内溥氏
※岩田聡氏
※石原氏も出演している4Gamer.netの岩田氏の追悼特集で『ポケットモンスター 赤・緑』のローカライズにおける岩田氏の功績については詳しく述べられている
―――海外に持っていくに当たってポケモンのネーミングは苦労があったそうですね
ピカチュウはピカチュウで良いのか? という問題には非常に苦労しました。ピカチュウは日本人からすると、電気の「ピカ」とネズミの「チュウ」で意味のある単語に感じられますが、日本以外では意味が通じない、ナンセンスなんです。ナンセンスは評価できない。意味のない擬音語の羅列を良いか悪いかと聞かれても答えようが無いわけです。これはもう、1つ1つ考える他なかったんです。
ピカチュウは世界共通にしました。意味は通じないかもしれませんが、全世界で商標も取れるし、ピカチュウで行きましょうと。でも、全部そのままだと意味不明のオンパレードになってしまいますので、フシギダネは不思議な種を背負ってるからフシギダネなので、種を意味するBulbと恐竜を表すSaurusを合わせてバルバザー(Bulbasaur)に。念のためアメリカ人に聞いてみるとツボミを背負ったトカゲや両生類をイメージするというのでOKと。ヒトカゲは木炭を表すCharcoalと火のトカゲを表すSalamandraを合わせてチャーマンダー(Charmander)に。アーボも分かりづらいからアメリカではイーカンス(Ekans)。でもそれってスネークの逆さ読みで、アナグラムなんです。
何か法則性を持って英語にしたわけじゃなくて、みんなで一生懸命、1つずつ言葉にクリエイティブを込めて考えていったんです。それによってそれぞれのポケモンが生き生きとしたものに感じられるようになったと思います。その国のダジャレのようなものも取り入れながら、不思議な生き物の中に込めていったわけです。151匹のうち、かなりの割合で日本語と異なる名前が付いたことで、アニメの吹き替えでの大変さは何倍にもなりましたけど・・・。でも頑張って名前を付けたお陰で、世界中で受け入れられたという側面も大いにあると思います。
英語版でもピカチュウはピカチュウ
―――海外でも日本と同じような流れで人気が高まっていったのでしょうか?
海外展開がスタートしたのは、日本から2年以上遅れてのことだったので、やり方は随分変わりました。2年あったので、その間にアニメが放送され、映画もあり、カードゲームも発売されました。なので米国に上陸するに当たっては、既に色々な武器をもっている状態でした。米国ではまずアニメを先に放送して、ポケモンの世界を広めておいて、ゲームでより一層深い体験をしてもらう、カードゲームではもっと戦略性の高い遊びを提供する、という戦略でスタートしました。日本では当然ゲームからスタートでしたので、順番を変えて提供したということになります。山内さんからの鶴の一声から、実際にリリースできるまでには2年かかっていて、その間に武器が色々作れたので上手く立ち上げられました。これが日本と同時だったら失敗していたかもしれませんね。運やタイミングもあったと思います。
「ポケモンワールドチャンピオンシップス」現在では世界大会も開催され盛り上がりを見せている
―――海外でも成功した要因として、ポケモンが人類の普遍的なテーマを追っているということもあるのでしょうか?
そういうこともあるかもしれません。ポケモンは身近なテーマを描いているんです。小動物を飼うとか、昆虫が蛹になって蝶になるというような成長とか。そういう体験は人類共通の部分があるかもしれません。これが剣と魔法の世界だと、好みが分かれるでしょうし、バイオレンスの要素が入ってくると対象年齢も上がってきてしまいますからね。見方によっては、ポケモンは日本の怪獣や西洋ファンタジーの伝説上の生き物の延長線上の存在、という捉え方もできますが、日常生活で誰もが体験するような、昆虫採集の虫、家で飼っている犬、川で釣った魚、のようなもっと身近な存在として理解されたんじゃないかと思います。
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ポケモンは前に進みたがっている
―――ポケモンは『ポケットモンスター』シリーズだけでなく多くの関連作品や、商品化がなされています。石原さんとして「これはポケモンで、ポケモンではない」というような価値基準はどういう所に置いてらっしゃるのでしょうか?
究極的には人の真似をしない、という点が判断基準になるかなと思います。その上で考えているのは、「それはポケモンを次のステップに進めるものなのか」という事です。『鉄拳』シリーズを長年開発してきたバンダイナムコエンターテイメントさんとのタッグで『ポッ拳』というゲームを作って来月Wii Uでも出ます。「いわゆるコラボ商品ですね」と言われてしまうかもしれませんが(笑)、僕はブランドと組むというよりは、メカニズムと組む、という考え方をしています。どういう仕組みをポケモンが獲得すると、ポケモンに新しい世界が生まれるか、ということを考えています。
『ポケモン 赤・緑』がスタートした時点での質の高さと素性の良さが、これまでのポケモンの全ての引き金となっているのは間違いなくて、常に原点に立ち返って、伝統を壊さず、保守的な芸術として生きていく道もあるはずです。それでも自分としては20年間、叡智と工夫を注いできて、何とか皆さんに支持をいただいているようでもありますので、ポケモンの世界を拡大する上で壊す必要があれば壊すし、守る必要がある場所は守るという姿勢で今後も取り組んでいきたいと思っています。
『鉄拳』と『ポケモン』がタッグを組んだ『ポッ拳』
―――株式会社ポケモンとして進む方向性はあるのでしょうか?
「ポケモンという存在を通して、現実世界と仮想世界の双方を豊かにすること」ということを株式会社ポケモンのミッションステートメントに掲げています。これは非常にシンプルで、『ポケモン 赤・緑』でゲームの中でトレーナーがカモネギと交換してくれない? と言われて交換する。現実世界で学校の友だちにニャースくれない? と言われて交換する。ゲームの中で起きている価値の交換と、現実世界の価値の交換が同等になっているわけです。ゲームの中で知り合ったトレーナーと現実世界のトレーナーが繋がっていく。ポケモンは現実世界と仮想世界を仲立ちしているのです。VRはゲームにはまりこんで閉じこもって引きこもっていくのに適していますが、そういう世界の閉じ方の真逆にポケモンはいきたいと考えています。現実世界も仮想世界も両方繋いでリッチにしていきたい。これを凄く意識して『Pokemon GO』というものも生まれてきました。
―――『Pokemon GO』は非常に気になる商品ですね
3年前に岩田さんとプロジェクトをスタートさせた時、スマートデバイスに対する1つの答えとして考えたのが実はこの『Pokemon GO』でした。ゲーム業界の大半を占めるようになったスマホゲームの世界では我々は新参者ですから、誰かの真似ではいけません。新しい遊びはこれだという答えであり、挑戦という気持ちで鋭意、開発を進めています。また、世界中で普及しているスマホというデバイスは、地域的、言語的な広がりがより拡大できるのではないかと期待しています。
―――元グーグルの社内スタートアップであるナイアンティックとのコラボレーションというのも興味深いですね
彼らはルールが動かす世界を見ていて、我々はクリエイティブが動かす世界を見ているので、この文化の違いたるや、なかなか面白いんです。大変な部分もありますが、ああそういう風に考えるんだ、と刺激になります。任天堂とアップルというのは似ていて、ハードウェアとソフトウェアが一体化したプラットフォームビジネスをやってきた。グーグルはプラットフォームは物理的なものではなくソフトウェアだと考えます。検索、マップ、Gmailがプラットフォームなのであって、Androidを搭載したデバイスを誰が製造しようと構わないわけです。この違いも刺激的ですね。
―――20年経って出来るようになったことはあるのでしょうか?
象徴的な事が最近あって、それは今年初めてスーパーボウル(※)でCMを流したら、それがYouTubeで行われた投票で、52社のCMの中で1位を取ったんです。どれだけポケモンが成功しても、これまでは「サブカルチャーだよね」と言われ続けてきて、じゃあ「ポップカルチャーってなに?」というとマイケル・ジャクソンやビヨンセだったりするわけです。まだまだゲーム好きの特殊な人たちが幼少期にはまりがちなのがポケモン、そういう認識は拭えなかったわけです。でも今回、ポップカルチャーの最も晴れ舞台であるスーパーボウルのハーフタイムショーに流れるCMで最高の評価を得られたというのは転機のように感じますね。
それは20年間の重みというのもあるかもしれません。やはり一時代ではありますよね。それから、20年続いたことで世代を繋げられたという感覚があります。「お前らは知らないだろうけどお父さんが小さい時はこんな遊びをしてたんだよ」じゃなくて、一緒にポケモンを語り合えるというような。将来は「おじいちゃんはこのリザードンで遊んでいたんだよ」とお孫さんと語り合えるような、そんな世界を作りたいですね。環境は出来つつあると思います。
※スーパーボウル
―――最後にポケモンを愛する人たちにメッセージをいただけますでしょうか?
この20年間、自分の人生の一番濃い時期を賭けて、少しでもポケモンが面白くなるように常に新しい遊びの仕掛けを作り続けてきたつもりです。その全てとは言いませんが、1つでもプレイヤーの皆さんの琴線に触れるものがあったなら、プロデューサーとしては嬉しいですね。先ほども言いましたが、ポケモンは現実世界と仮想世界を繋いで共に豊かにできる構造を持った遊びだと思っています。そこを起点にクリエイティブを生み出せるタネがまだまだ沢山あります。ここは通過点です。次のポケモンに期待していてください。もっともっと面白いものが出ますから。
特集 ポケットモンスター20周年
ポケモンゲーム史
特別インタビュー
(C)1995, 1996, 1998 Nintendo/Creatures inc./GAME FREAK inc.
(C)2016 Pokemon.