お菓子の名前のモチーフにもなっている「暴君ネロ」。誰もが暴力的な姿を想像するでしょうが、市民を苦しめたのは「歌」だったのはご存じでしょうか?
妻と母親を殺害したり、自分が大火事の首謀者だったのに他人に罪をなすりつけてしまったりと、「暴君」の名にふさわしい乱暴者だったのは事実。やがて市民の怒りが爆発、反乱により自害に追い込まれました。歌手になりたかったネロは自分が歌うコンサートを開いては、強制参加の市民に聞かせてご満悦… 終わるまで帰れないジャイアン・リサイタルの生みの親だったのです。
■市民を苦しめた「暴君リサイタル」
暴君ネロはおよそ2千年前、西暦37年のローマ帝国で生を受けました。初代のローマ皇帝アウグストゥスの血筋を受ける「生え抜き」のエリートで、16歳のときに第5代皇帝に即位。このときすでに「暴君」としての人生は決定されていたようなもので、
・母が4代皇帝クラウディウスを毒殺(とされる)
・即位したネロは、義弟ブリタニクスを毒殺
その後は母や妻も殺害……現代とは感覚が違うにせよ、まさに泥沼の人間関係のうえに立っていたのです。
暴君ぶりは文化行事にも色濃く表れました。ネロ的オリンピックを始めたり、自分の歌や詩を聞かせるリサイタルをおこなっていたのです。
オリンピックの前身である「オリンピア祭」が始まったのは紀元前776年とされ、ネロが皇帝だったときももちろんおこなわれていました。本来は神に捧げる「お祭り」でローマ人にとってはとても重要なイベント、ところがネロはなにを血迷ったのか、オリンピア祭に対抗して「ネロ祭」を開始、5年に1度開催するように決めてしまったのです。
また、自分の歌や詩を披露するコンサートもたびたび開催、人気があった! どころか観客は強制的に集められた市民。入場すると終わるまで帰れない、拷問のようなコンサートで市民を苦しめていたのです。
未来から来たネコ型ロボットが登場するアニメでは、オンチな少年が、空き地の土管のうえで歌い続けるシーンがあり、その拷問っぷりはまさにネロゆずり。「なんだと市民のクセに! 」と言ったかは定かでありませんが、暴君ネロは2000年近く前に、ジャイアン・リサイタルで市民を困らせていたのです。
■ローマの大火は自演乙?
歌や運動会ならまだかわいいもので、やがてネロの暴君ぶりは本格的なものとなっていきます。ローマで大火事が起きると、ろくに調べないまま犯人を処刑してしまったのです。
西暦64年に起きた「ローマ大火」は、当時のローマ市のおよそ7割に被害をもたらす大惨事でした。ネロは鎮火や被害者の救済を迅速におこない、市民から高い評価を得たのです。ところがこの火事は「ネロのしわざ」説が強く、時間とともに「自作自演じゃね? 」と疑いの声が増える始末……。これに慌てたのか、ネロは「キリスト教徒のせいだ! 」と決めつけて処刑、暴君ぶりをいかんなく発揮したのです。
この事件をきっかけに不満が爆発、反乱が起き、逃げられないと悟ったネロは自ら命を絶ってしまいます。火事の真相はいまだヤミのなか、ネロの判断が間違っていたのかも資料が少なすぎてはっきりしませんが、ネロが犯人じゃね? 説が強く残っているのも事実。今日まで続く「暴君」イメージは、さすがというべきでしょう。
最近の研究で、ネロは良い皇帝だったこともわかりました。それまでおこなわれていた非公開の裁判を禁止したり、彫刻や絵画を楽しめる浴場の建設などから、ネロを賞賛する声も少なくなかったのです。芸術/文化に明るい面と現実とのギャップが、暴君のイメージを強めてしまったのかも知れません。
■まとめ
・暴君ネロは、オリンピックに対抗して5年に1度の「ネロ祭」をおこなった
・誰も帰れない「ネロ・リサイタル」をたびたび開催、市民にイヤがられていた
・ローマの大火事はネロが犯人では? 説が残っている
(関口 寿/ガリレオワークス)